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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

沢山遼

●A1

14の夕べ

率直に言って、国内の政治体制の推移や社会情勢の動きに、多くのことを思う一年だった。すべてが変わってしまったにも関わらず、なにも変わらない、ということに対する苛立ちと失望も、そこに加わる。依然として予断を許さない状況が続いているが、このような状況のなかで筆者も関わりの深い美術の領域は、文字通りの狭いサークル的な領域のなかで、しかし、その狭さゆえに可能になる即時性と即効性を武器に、以前にも増して機敏に(瞬時の判断力を武器に)、そしてこの危機感を共有する者とともに、動き回ることが要求されたと思う。自分の活動だけを取ってみても、執筆だけではなく、多種多様な形態の仕事に参加したことが思い出される。なかでも印象に残ったのが、東京国立近代美術館で開催され、同館研究員・三輪健仁氏により企画・実施された「14の夕べ」だ。「14の夕べ」は、14日間日替わりで14のプログラムが行なわれたパフォーマンス・イベントである。「夕べ」という言葉から推測されるように、1966年にジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグらと、エンジニアのビリー・クルーヴァーらのEATの技術的サポートにより開催された「9つの夕べ──シアター&エンジニアリング」をはじめ、「未来派の夕べ」や「ダダの夕べ」などが参照源とされたという。現代美術の領域で活動する奥村雄樹、小林耕平、高嶋晋一、橋本聡らに加え、ダンサー/振付家の神村恵などが参加した。筆者は観客として数人の作家のパフォーマンスを実見し、また橋本聡のパフォーマンスにイベントの参加者として参加したが、おおよそこの企画の画期性は、パフォーマンスという枠組みに限定されるものではないだろう。幾人かの作家の作品はきわめて抽象度の高いものであったが、このような企画が、もはやダダや未来派のように、国家のような公的領域に抵抗するブライベートな自律的拠点の確保を目指すたぐいのものではなく、国立近代美術館という、それこそ芸術機関の中枢たる場所で行なわれたことに、時代の象徴を見るような思いがした。しかもそれが、抽象度のきわめて高い(ハイコンテクストな、という意味ではない)若い作家たちの作品の発表の場となったのである。そのような事態が示すのは、パブリックとプライベートの裂け目である。実際に、この企画に参加した上記の作家たちは、そのような空間や時間の表象の統合不可能性、あるいは唯物的な事象のさまざまなズレや亀裂こそを作品構造に内在させていたように思う。参加作家たちのそうした関心は、行為や言葉を物質や機械のように扱い、逆に物質を主体的な行為や言葉として扱うような、諸々のエージェント=主体の等価な「振る舞い」への関心へと通底する。もとよりこのような問題設定は同じく同館で開催された「美術にぶるっ!」展のセクション2「実験場1950S」においても提起されていた問題であったように思われる。2012年をまさに彷佛させる砂川闘争の抗議デモや原爆の映像は、複数の人間を媒介するコミュニケーションの諸技術(国民の総意を表象するとされる選挙も含めて)が50年代の当時においてもすでに瓦解していたこと、私たちの世俗的な世界を規定・構成し、主導するエージェント=主権者が、すでに人為を超えたテクノロジーや自然、物質の原理などといった、人間主体をはるかに超えたものでもあるということ、そしてもはや主権が自明ではなくなりつつある時代に、芸術について考えることの困難を伝えている。いずれにせよ、芸術の変動が世界の変動そのものであることは変わらない。今後も注視が必要である。

「14の夕べ」(国立近代美術館、2012)

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