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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

蘆田裕史

●A1

マームとジプシー《ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。》

本作品は、道路建設のために取り壊される家をめぐって、そこに住んでいた家族の記憶と現在によって紡がれる物語である。外的な要因によって存在を消されてしまう家は、震災によって崩れ落ちた建物/都市のメタファーとして見ることもできるだろう。時勢的にそのようなことも感じさせてしまうこの物語は、決して明るいものではない。だが、それでもなお、本作品は──マームとジプシーの他の作品と同様に──希望に満ちたものであったように思われる。

《ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。》公演チラシ

マームとジプシー(以下、マーム)を率いる藤田貴大の演出は何度も反復される台詞を特徴とする。リニアに流れる時間を生きている私たちにとって、その反復は一見すると、現実には起こらない不自然な時間の流れに見えるかも知れない。とはいえ、私たちの毎日の生活を振り返って見れば、寝て、起きて、ご飯を食べて、会社や学校に行って、家に帰って、ご飯を食べて、風呂に入って、また寝ることの繰り返しである。毎日の微少な差異はあれど、私たちの生活はほぼ反復によって構成されており、その意味では、マームの作品における一見不条理な反復は私たちの生と重なる。
リニアな時間軸上で反復される行為の軌跡が描く円環からは、なかなか逃れることができないように思われるかもしれない。だが、きっかけさえあれば、その円環から飛び出すことはできるはずだ。ただ、私たちはただそのきっかけに気づいていないだけなのだ。藤田の作品においても、時間が動き出すきっかけは見えにくい。ひとたび時間が流れたかのように思っても、またすぐ戻ってしまうこともある。それでもあきらめずに、円環からの跳躍を試み続けることで、確実に物語は前進する。たとえ不条理だとしても、悲劇だとしても、マームの作品が救われた感覚を与えてくれるのは、まさにこの円環からの跳躍がひとつの理由ではないだろうか。

《ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。》公演風景
撮影=飯田浩一

●A2

自分が関わっているプロジェクトで恐縮だが、水野大二郎との共同編集で昨年創刊したファッション批評誌『fashionista』の第2号を発行する予定である。ファッションの批評家や研究者はまだまだ少なく、他分野──美学や表象文化論、建築など──を専門とする書き手にも寄稿してもらっているのだが、そのことによって逆に視点の多様性を確保できているようにも思う。
自費出版であるため取扱店舗は決して多いとは言えないが、日本では類書のない雑誌であるはずなので、どこかで目にする機会があれば一度手にとってみてほしい。

『fashionista』No. 001(2012)

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