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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

大山エンリコイサム

1|高層ビルと古アパート

個人的なことから振り返ってみると、2012年10月よりニューヨークに移住した。海外で家探しをするのは初めてのことだ。まずはサブレットで、知らない方のアパートに1カ月ほど滞在する。旅行などで家を空ける期間、インターネットで募集した第三者に家を又貸しするというサブレットの発想は、日本ではあまり見られないものだ。不思議な感覚だが、それはそれでニューヨーク独特の住宅事情が伺える。そのあいだにきちんとした家を探す。
肝心の自宅は、ブルックリンでも地価高騰とコンドミニアム建造が相次ぐウィリアムズバーグなど高級エリアは手が届かず、かといって、あまり東の奥にいくと治安がよいとは言えない。もとより、空き部屋率1パーセント以下を維持すると言われるマンハッタンは想定外だったため、どうしたものかと考えあぐねていた矢先、不動産会社から連絡があり、そのマンハッタンはミッドタウン・イーストに予算内の物件があるという。
ミッドタウンと言えば、右も左も超高層オフィスビルばかりが建ち並ぶ完全なビジネス街区──そんな場所に本当にまともな居住物件があるのかと半信半疑のまま地下鉄に乗り込んだが、意外にもそこには、高層ビルに板挟みにされながら、たしかに4階建ての古いアパートがあった。戦前は屠殺場が多く、けっして治安がよくはなかったタートルベイと呼ばれるそのエリアも、1953年にジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの計らいで国連の本部が設置されてからは、続くように各国の大使館や領事館が設けられ、街並みは一変していった。
それでも目を凝らして見れば、1ブロックにひとつほどの割合で、ひっそりと佇む年季のはいったアパートが散見される。入居することに決めたその部屋は、いったん足を踏み入れれば、隣接する高層ビルとのつい笑ってしまうくらい不自然な身長差を忘れさせるほど、暖かみのある居心地のよいものだった。

マンハッタン・ミッドタウンの風景。建ち並ぶ高層ビルのはざまに背の低い居住用アパートがある

2|ネイル・ハウス──打ち込まれた釘としての建築

引っ越しも一段落し、生活が落ち着いてきたころ、香港からレジデンシー・プログラムでニューヨークに滞在中のキュレーターと話す機会があった。彼から教えてもらったのは、近年中国各地に出没している「钉子户(英=Nail House)」と呼ばれる建築の存在だ。日本語での正式名称は不明だが、ここでは「ネイル・ハウス」と表記しておこう。
ネイル・ハウスとは、民間デベロッパーによる都市開発事業に際して、立ち退きを拒否した地元住民の住宅のことである。その最大の特徴は、広い区画においてただ「一軒」のみが留まり続けていること、そして、その一軒を囲う広範な土地はデベロッパーの手中に落ちているため、ネイル・ハウスの住民にプレッシャーをかけ完全な立ち退きを実現するために、デベロッパーは住民がまともに生活できないほど極端に環境を一変させてしまうということだ。
たとえば、有名な浙江省のネイル・ハウスはその周囲が完全に車道と化している。また、同じく有名な重慶市のネイル・ハウスは、まるで大海に浮かぶ孤島のように、深く掘り出された土地に包囲されてしまっている。

車道の真ん中に位置する浙江省のネイル・ハウス
引用出典=http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tNNMNLU2GDU

重慶市のネイル・ハウス。街中にどのようにアクセスしているのだろうか
引用出典=http://en.wikipedia.org/wiki/File:Chongqing_yangjiaping_2007.jpg

ミッドタウンの4階建古アパートと高層ビルのコントラストには、不自然さとともにある種のユーモラスな親しみを覚えたが、中国におけるこれらの光景には、端的に驚きを禁じ得ない。
だが、住民たちの意志も固い。ネイル・ハウスという呼称には、木の中程で詰まってしまい、それ以上押し込むことも抜き出すこともできない、扱いの難しい釘のような建築というニュアンスがあると聞く。また報道では、あるネイル・ハウスの住民で、デベロッパーやその手先が近づいたとたん、みずからの家ともども爆破して心中すべく、ガスタンクをすぐ脇に置いて煙草をふかしながら待ち構える男が紹介されていた。男は、壽衣(じゅい)と呼ばれる死者のための衣服を着ている(http://news.
enorth.com.cn/system/2005/10/21/001144945.shtml
)。
死と引き換えてでも土地を守ろうとするその態度は、アメリカと異なり、数千年の歴史を有する中国だからこそ育まれた、通時的な記憶や土着の意識に裏打ちされるものなのだろうか。それとも、メディアの報道も十分ではなく、インターネットなどの使用も制限されるなか、デベロッパーの極端な暴威に対抗するには、やはり極端な手段をもって応答しなければならないという意志の表出なのだろうか。だとすれば、自死することで世界に訴えかけるというその過激な決断が、中国政府によって抑圧されているチベットでもまた観察されるという悲劇が、皮肉にも思い出される。

歴史的な背景として、中国では長いあいだ不動産の私有権が認められていなかったという。理論上は中央政府がすべての不動産を有しており、「公益」という名目のもと、政府が命じれば市民はその所有物件を維持する法的権限を持たなかった。
他方、90年代後半に始まった経済成長とそれにともなう自由市場の台頭・拡大によって、民間デベロッパーによるショッピングモールやホテルなどの開発がとくに人口密度の高い都心部で相次ぎ、地元住人の移動を要求し始める。住民たちは抵抗したが、強力なデベロッパーは地元の公共機関や法廷を巻き込み、ときには暴漢を雇って脅迫するなど、あらゆる手段を用いて住民を駆逐していった。この住民とデベロッパーによる抗争の、最終局面におけるひとつの極致がこれらのネイル・ハウス建築である。

なお、中国は2007年に初めて、近代的な意味での「私的所有」に関する法律を定め、「国益」に適う場合を除き、政府が市民の土地を取得することを禁止している。このことは、ネイル・ハウス住民の立場をある程度まで強化したと言われている。ただし、民間デベロッパーの開発事業のために土地を押さえることが「公益」に値するかどうかははっきりとしておらず、問題の全面的な解決には至っていない。

3|キュレーション操作への介入──西野達の場合

ネイル・ハウスはもちろん人権をめぐる深刻な問題であるが、同時に、都市景観として、建築と周辺環境のあいだの強烈な対比が印象的でもある。そもそも、ある住宅がネイル・ハウスになるとき、建築物それ自体は物理的になにも変化しない。変わるのは環境のほうのみである。だが、それにもかかわらず、その建物はネイル・ハウスに「なる」。
この事実は、私たちが都市空間のなかである建築を眺めるという経験が、一つひとつの独立した建物に収斂するものではなく、周りのほかの建築やそれに準ずる空間構成、また、場のもつ政治的・社会的コンテクストといった複数の条件編成のなかに生起するものであることを教えてくれる。

美術についても、同様のことが言えるかもしれない。展覧会においてひとつの作品を鑑賞するという体験は、つねに、その作品の前に見た作品や後に見る作品、そして展覧会全体の提示する文脈やそれを効果的に伝えるための空間構成など、さまざまな要素に紐づけられているからだ。つまり、キュレーションである。だからある意味では、都市景観とはキュレーションされた建築物の連なりと言えるかもしれない。
だがそれは、少なくとも一般の人々にとってはあまりにも無意識化されているため、しばしばキュレーションされているとは気づかれない、不可視の操作である。ネイル・ハウスは、みずからを抜き差し不可能な不動の「釘」とすることで、行政や大手デベロッパーによってのみ進められがちな、都市を操作するこの不可視のキュレーションの権力を告発しているとも言えるだろう。それはまるで、展覧会が終わっても壁から外れることを頑なに拒む絵画のようだ。

この問題に、美術家として逆方向からのアプローチを試みているのが西野達(Tatzu Nishi)である。西野は、屋外空間に設置されている著名なモミュメントを仮設の建造物で取り囲み、屋内空間へと包み込んでしまう。その屋内空間は、しばしばプライベート感の強い、寝室のような雰囲気であることが多い。ここで、モニュメント自体は同一であるにもかかわらず、それまで置かれていた都市景観上のキュレーション関係から切り離されることによって、それは独立したひとつの親密な「オブジェ」へと変換されることになる。
残念ながら私は鑑賞機会を逃したが、たとえば2012年9月20日から12月2日までニューヨークで行なわれたプロジェクト《Discovering Columbus》では、1892年に建立されたコロンブス像が仮設建築で囲われ、話題をさらったことが記憶に新しい。

西野達《Discovering Columbus》(ニューヨーク、2012)
引用出典=http://www.flickr.com/photos/mattjcarbone/8306462883/

周囲の建築が根こそぎ解体され更地にされても、そこに居座り続けることで、資本の運動が推し進める公共空間の変容に撹乱を起こし、私たちの都市認識に揺さぶりをかけるのがネイル・ハウスであるとすれば、西野のプロジェクトでは、そこに当然のごとく鎮座し続けている公共モニュメントに作家が介入し、むしろ周囲の環境や文脈から視覚的にそれを遠ざけ、オブジェそのものをより直接的に見つめるように要請することで、そこに織りこまれながらも私たちが無意識に是認していたさまざまな権力装置や社会通念、歴史意識が逆説的に浮き彫りにされ、再考させられることになる。そして、そのようなプロジェクトそのものをアート作品として、もうひとつのキュレーションの場である展覧会空間に展開するというところに、西野の振る舞いの複雑さがある。
一方は社会問題、他方はアートプロジェクトと、けっして安易に比較できる事例ではない。だが、ネイル・ハウスと西野の芸術表現が、それぞれの仕方で、公共空間の在り方とその占有に関する現代的な問題に鋭くメスを入れるものである以上、両者を並列して考察することで見えてくる風景があるのもたしかだ。

4|シェアハウスと公共性の在処

最後に、日本国内の事例に少しだけ触れておきたい。やや話題が飛ぶようだが、近年、国内の若年層を中心に増えつつあるシェアハウスという居住形態の流行は、公共性についてなお、ひとつの今日的な姿を反映している。
しばしばインターネットで募集される気の合うメンバー同士で、広めのアパートや一軒家をシェアすることで家賃を節約し、また一人暮らしの寂しさや不安を払拭してくれる仲間たちと──適度な距離感を保ちつつ──常時一緒にいることができるシェアハウスという価値観の選択は、経済的にはフリーターやネットカフェ難民などと呼ばれた流動的労働力、またコミュニケーション感覚としてはミクシィやフェイスブックなどいわゆるSNS世代の「つながりの社会性」(北田暁大)といったものと親和性が高いように感じられる。

他方で、おそらくシェアハウスというアイディア自体は、とりたてて目新しいものではない。たとえば近年の例を挙げても、1997年に東京大学駒場寮で発足したオルタナティヴ・スペース「オブスキュア(OBSCURE)」の活動と、そこに出入りし暮らした若手アーティストたちのコミュニティは、半分は不法占拠行為であるスクワッティングの系譜に位置しながらも、同時に経済的に不安定な若者同士の節約共同生活という点で、現在のシェアハウスを先取りしてもいる(もちろん、歴史上の「シェアハウス的なもの」をほかに挙げていけば、枚挙にいとまがない)。
ただ大きな違いとして、現代のシェアハウスはそのような生活諸般の事情によるやむをえない選択というよりも、ある種の憧れの対象となりつつあるようだ。人気シェアハウスのいくつかはブランド化される傾向にすらある。多くの場合、住民たちは自分たちの家に「屋号」を設け、またツイッターやUSTREAMなどの情報環境を駆使して自分たちのライフスタイルや企画するさまざまなイベントを配信し、ときには著名人を招くなど、世間の関心を集めるための意識が高い。
そして、それらの試みが実際に一定数の若者の支持を獲得しているということは、シェアハウスという生活形態が、以前のように一部のアーティストやボヘミアンたちだけでなく、幅広い層の実感に届いているということでもあるだろう。その意味でやはり、それは時代の感性をそれなりに物語っている。

ところで、そこでは公共性という概念の所在が、準-他者である「同居人」同士が共存するシェアハウスの屋内生活空間と、スクリーンを通して無限に広がるインターネット空間という二極に引き裂かれてしまっている印象がある。もともと公共という考え方は、都市において不特定多数の他者同士が居合わせる、近代型屋外空間の出現と結びつくものであった──だが、いまやその次元は、蒸発してしまったのかもしれない。
では、インターネットを通して手軽に得られ、またコミュニティベースで形成されるシェアハウス的親密性や公共性は、どの程度の強度があるのだろうか。あらかじめ気の合う「仲間」だけで集い、「他者」との出会いが薄くなるという危険はないのだろうか。批判するつもりは毛頭ない(したところで、たんに私の時代感覚の鈍さを露呈するに過ぎない)。ただ、資本や情報技術の加速的な発展がもたらす新しいコミュニティの様態がある一方で、そこから取り残された地点で闘争するネイル・ハウスのような状況もある。どちらかに片寄ることが、もう片方への想像力やリアリティをもし奪うのであれば、それら「他者」同士の事例を引き合わせて考えてみることも、ときには必要かもしれない。


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