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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

志岐豊

二つの選挙

年末にスペインと日本において、注目を集める二つの選挙があった。スペインのカタルーニャ州議会議員選挙と日本の衆議院議員総選挙である。これらを同列に並べるのはいささか乱暴であるかもしれないが、そこに私はひとつの共通する現象を見た。
前者において焦点となったのは、「カタルーニャ独立」というテーマである。9月11日、カタルーニャでは独立を求める大規模なデモがあり、メディアはセンセーショナルに伝えた。そのデモを目の当たりにしたカタルーニャ州議会与党CiUの総裁アルトゥール・マスは、任期半ばにして議会を解散、「独立」を旗印に総選挙に踏み切った。その結果、過半数に迫ると伝えたメディアの予想に反して、CiUは大きく議席を減らした。
後者において焦点のひとつとなったのは、数ある政策のなかでも「原発」に関する政策であったと言える。それを基軸にいくつもの政党が生まれ、結果から言えば「脱原発」を掲げた政党は軒並み票を減らし、自民党が勝利した。この選挙結果を受けて、ツイッターなどのSNSではさまざまな反応があったが、落胆の声のほうが圧倒的に多かったように思う。
SNSを通じて、議論を交わしたり、デモを呼びかけるのは近年における世界共通の特徴である。しかし、今年行なわれたこの二つの国の選挙結果から見えてきたのは、そのような場で議論を交わしたり、デモに参加するような「活動的な」層が、必ずしも「マジョリティ」ではないということである。SNSのような場に顔を出さない、デモにも参加しない、いわば「非活動的な」層の確固たる意志表示を感じた二つの選挙であった。

バルセロナにおけるカタルーニャ独立を求めるデモ(2012年9月11日
引用出典=http://www.flickr.com/photos/tomczak/7980659363/sizes/l/in/photostream/

豊島美術館

ビザ更新の関係でやむを得ず、日本に長期滞在することになった今年の春、瀬戸内に新しくできた建築物を見学する旅に出かけた。 そのなかで、《豊島美術館》(設計:西沢立衛、作品:内藤礼《母型》、ともに2010)は非常に印象的だった。
起伏のある山道を貸し自転車で進んでいくと、水滴の形をした《豊島美術館》は風光明媚な豊島の山中にひっそりと佇んでいた。自転車を停めて、チケットを購入すると、まず建物の周囲をぐるりと回らなければならない。入口で靴を脱ぎ、裸足で建物に入る。コンクリートの床の上を裸足で歩くのが心地よい。また裸足である故に、耳に入ってくるのは、周辺の木々が擦れる音くらいであり、自分自身の存在を極力消し去っているかのようである。しばらくすると、床をすらすらと生き物のように這っている水の固まりの存在に気づく。その「生き物」を、しばし夢中で追いかける。
《豊島美術館》は、2012年日本建築学会賞作品賞を受賞した。

富里の平屋

5月、8棟の戸建て住宅建設コンペで1等を受賞した(雨宮知彦と恊働)。このコンペは、千葉県の富里市における郊外の戸建て分譲住宅地の新しいあり方を探るというものだった。居室や水廻りのあるI字型のボリュームを敷地境界線に寄せて建て、それに直交するようにリビング、エントランスのある透明なボリュームを配置し、敷地の前後に性格の異なる二つの庭を設けた提案が評価された。郊外の広い敷地を生かした平屋であるということもこの計画の特徴である。
また、都心から電車で1時間半かかる「超郊外」と呼ばれる場所に住むことの意義を探るべく、展覧会「超郊外の新しい住まい」展を、コンペ主催者である中川大起を加えて企画、開催した★1。来年の着工を目指して、プロジェクトは現在進行中である。

コンペ提出時の模型

「超郊外の新しい住まい」展示風景

★1──超郊外の新しい住まい(2012年9月20日〜10月2日、リビングデザインセンターOZONE)
URL=http://www.ozone.co.jp/event_seminar/seminar/seminar_d/detail/1392.html

ETSAMとアレハンドロ・デ・ラ・ソータ

10月、マドリッド建築高等学校(ETSAM: Escuela Técnica Superior de Arquitectura de Madrid)にて学位認定の手続きを開始した。スペインでは、建築の学位がそのまま建築家の資格に相当するため、資格取得を目的としている。詳細は省略するが、スペインの教育省より学位認定の条件として、スペインの大学における「卒業制作」の履修を義務づけられている。
スペインの建築教育はどのように行なわれているのか。伝統的に工学的なアプローチを校風とするETSAMは、フェリックス・カンデラ、フランシスコ・サエンス・デ・オイサ、ホセ・ラファエル・モネオ、アルベルト・カンポ・バエサ、そして、今年2月に亡くなったルイス・マンシーリャなど、名前を挙げればきりがないほど、多種多様な、革新的な建築家を輩出し続けている。国外の大学を卒業した外国人を対象とした講義のみを履修している限り、その全貌を明らかにするのは困難であるかもしれないが、彼らの書き記したテキストにその一端を垣間見ることはできるだろう。
ETSAMを、そしてスペインを代表するもう一人の建築家 アレハンドロ・デ・ラ・ソータ(1913-96)の作品集Alejandro de la Sota, Arquitectoにある次の一節が、このETSAMの信念をじつによく伝えているのではないか。

──新しい建築家たちは(誰もが常にそうなりたいと願っているが)、質の良さ、新しさの両方を備えた建築のみが存在することを知っている。「新しさ」というのは、「芳香」のようなものであり、芸術の根源である。「質の良さ」というのは、これまでの良質な建築の潮流のなかにある「確かさ」のようなものだ。[「建築学生への言葉」1959]

Alejandro de la Sota, Arquitecto, Ediciones Pronaos, S.A., 1989.

オスカー・ニーマイヤーの死

12月5日、ブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーが亡くなった。ブラジル現代建築の牽引者であった彼は、その軽快な作品群で世界中の建築家に大きな影響を及ぼした。それは同じポルトガル語を母語とするポルトガルにおいても例外ではなかった。
ポルトガル人建築家アルヴァロ・シザは、ニーマイヤーの死に際し、現地メディアから取材を受けた。彼は、ポルト美術学校の新任教師であったフェルナンド・タヴォラが、脇に「Brazil Builds」というタイトルの本を抱えてやってきた日のことを振り返り、次のように語っている。

──その本には、当時の建築家の作品やその図面が多数掲載されており、その一人がニーマイヤーであり、彼がわれわれをもっとも驚嘆させた。(...中略...)それは、当時のポルト大学における図面表現をまったく別のものとした。すべての学生が、あの軽快な図面表現、つまり曲線や、ほとんど点で表現された柱に衝撃を覚えた。建築言語や建築の種類という点で、非常に大きな影響があった。

ポルトガルの現代建築を語るに際し、ブラジルの現代建築、そして、ニーマイヤーの存在を無視することはできない。私自身、7年間仕事をしたポルトガルにおいて、間接的であるとは言え、ニーマイヤーの建築から多くのものを学んだと思う。

2011年のサンパウロ国際建築ビエンナーレ会場となったニーマイヤー設計による《OCA》(1951年竣工)

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