ENQUETE

特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

光岡寿郎

●A1

地方都市におけるアートとの出会い方

今年を振り返るにあたって改めて考えさせられるのは、「地方/アート」の問題系についてだ。まずは「混浴温泉世界2012★1から話を進めたい。この数年、継続的に地域に根ざしたアート・プロジェクトについて議論する機会をいただいてきたこともあり、人口12万人の都市別府で開催される同展を楽しみにしていた。二日間、徒歩ですべての会場を訪れたのだが、率直な印象としては、僕が東京からの「アートファン/ツーリスト」だから楽しめたのではと感じた。というのも、純粋な美術展としては半日もかからず見終える程度の規模で、かつ個々の展示空間にも潤沢とは言えないであろう予算の影響が漂っていたからである。それでも、一定の満足感を持って帰途についたのは、圧倒的に僕が別府にとっての「よそ者(stranger)」だったからではないだろうか。そして、市内に点在する展示会場を巡りながら僕が目にしたのは、これほど市民の力を活用し、世界的なアーティストを招聘しても、それでも戦後高度経済成長期を通じて果たしてきた娯楽・観光都市としての役割を終えつつある別府の姿だった。そして、同時に気になっていたのは、このような僕の印象は、このプロジェクトに主体的に関わってきた別府、およびその周辺地域の人々が会期を通じて得た内在的な理解とは乖離しているのではないかという点だ。僕自身の当時者性、つまり、「東京から来た研究者(見習い)」の眼差しを、地方都市におけるアート・プロジェクトを記述する言説の網の目のなかにどう位置づければいいのかという戸惑いは依然として頭の片隅に残っている。改めてこの地域型のアート・プロジェクトの全貌やその成否は、美術批評の文脈だけでは記述できないし、東京や大阪で仕事をしている編集者、ライターからの視点からのみで描ききれるものではないことを肝に銘じたい。

別府市内に溶け込む展示会場──混浴温泉世界2012より
筆者撮影

★1──別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」(2012年10月6日〜12月2日、大分県別府市内各所)
URL=http://mixedbathingworld.com/

一方で、この原稿について考えているときに、『中国新聞』に「学芸員が展示監視も」(2012年12月6日)という記事が掲載された。概要を紹介すれば、現時点での今年度の広島県立美術館の赤字を補填するために、学芸員が週に2、3度展示監視業務につくというものである。この問題についてはすでに別稿でも触れたが★2、上記との関係でもう一度考えたいのは、地方都市でのアートとの出会い方である。直観的には大きく二点の論点に気付く。まず、地方都市における美術館とアート・プロジェクトの住み分けの問題である。これだけ日本各地でアート・プロジェクトが開催されている今、例えばすべての都道府県が美術館を維持し続ける必要があるのか(もしくは、できるのか)という点である。言うまでもなく、美術館は基本的には赤字しか産まない施設である。だとすれば、地方公共団体の財政状況が慢性的に逼迫している現在、その館を畳んで館の運営費の半額でも地域型のアート・プロジェクトに投入すれば、ずいぶん各運営組織の足腰がしっかりするのではないか。もちろん、アート・プロジェクトは期間限定のイベントであり、恒常的に存在する美術館がなければ、市民がアートに触れあう機会が確保できないという批判はあるだろう。ただ、例えば、瀬戸内を含め四国で三カ月毎にアート・プロジェクトが開催されるとしたらどうだろう。元々定期的に美術館に通っていた人たちは、三カ月毎に隣県のイベントを訪れる可能性もあるのではないか。僕はなにも、地方公共団体における美術館を一律に廃止すべきだと提案しているのではない。むしろ、地方都市におけるアートとの出会い方の選択肢を増やすことで、地域住民自身が決断し、それぞれにとって心地の良いアートとの出会い方が可能になることを望んでいるだけである。
もう一点は、アートと「出会う」ことの含意の問題である。今回の混浴温泉世界もそうだけれども、越後妻有トリエンナーレの「こへび隊」や瀬戸内国際芸術祭における「こえび隊」に代表されるように、現在のアート・プロジェクトはどこも積極的な市民参加のチャネルを整備している。このような制度は、従来の公立美術館での友の会、ボランティア制度と比較しても遜色ないものになりつつあるのではないだろうか。僕は日本の公立美術館の多くは、ある種地方公共団体の「面目」と「福利厚生」の観点から整備されてきたと感じているけれども、やはりこの過程では、アートとの「出会い」を「鑑賞」や「学習」中心の枠組みで把握することで「美術館」の優位性を構築してきたと思う。一方で、地方都市におけるアート・プロジェクトは、その試行錯誤を通じて、アートとは「観光(消費)する」ものであり、「作り上げる」ものであり、「共有していく」ものであることを訴えてきた。その意味でも、ある地域にとって「芸術作品」そのものではなく、「アートとの出会い方」を最適化するという議論のなかで、両者の住み分けが考えられていくべき時期に来たという思いを強くする1年でもあった。

★2──「広島県立美術館の学芸員の展示監視問題に思ふ」
URL=http://toshiromitsuoka.com/blog/2012/12/07/942/

●A3

原発事故に関わる言説の「不在」──2012年衆議院選挙

「10+1」のアンケートには本来そぐわないのかもしれないし、すでにこの原稿公開時には結果も出ていることと思うが、メディア研究に携わる一人としては、今回の衆議院選挙の政治家の発言、そしてその報道を通じて、原発事故と向き合う具体的な言説が「不在」だったことが一番印象に残っている。僕自身は選挙報道の専門家ではないので、一私人としての印象を述べるに過ぎないけれども、原発問題を選挙の争点化することには失敗したと思う。今回はマスメディアの報道姿勢に帰因するというよりは、駆け込みで政党の離合集散が続いたことで、政党の数としてはあたかも「脱原発」が主流に見えてしまうような錯覚が生じた点も大きいと思う。一方でこれだけ「脱原発」というキャッチフレーズが飛び交いながらも、廃炉へ向けての工程、廃炉に至った場合の核廃棄物の処理といった具体的な事案には誰もが口をつぐむという、言説の「不在」も印象的な原発事故後初の選挙だった。

INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引 『10+1』DATABASE
ページTOPヘ戻る