ENQUETE

特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

冨山由紀子

●A1

「がんばろう日本」というスローガンが叫ばれ、「ひとつになろう」という気運が高まる一方で、大小さまざまな「差異」に直面させられた一年でした。

私自身は東京に暮らしていますが、余震が起こるたびに、自分の足元と震源地とが地続きであることを、ひしひしと感じさせられました。首都圏のライフラインが東北に支えられていることも、恥ずかしながら今回のことで改めて自覚し、そうした「つながり」が幾重にも張りめぐらされた上に生かされているのだと、実感しました。

しかし、そこには「つながり」だけでなく、「差異」も大きく横たわっています。当たり前のことですが、震源地からの距離や、住む場所の地形が違えば、揺れには差がありますし、被害も異なります。手に入る情報の量や種類にも、地域によって差がありましたし、放射線による影響にも、地域差や個人差があります。こうしたさまざまな物理的、心理的な差異に、多くの人が心を痛め、苦しんだはずです。できることなら、ともに幸せでありたい。しかし、そううまくはいかない現実がある。その事実を幾度となく突きつけられ、模索を繰り返す日々が続きました。乗り越えられる差異を、一つひとつ克服していくこと。それが難しい差異については、その存在を痛みとともに受けとめ、考え続けていくこと。いろいろなことが、まだまだこれからなのだと思います。

写真に携わる人々のあいだにも、さまざまな差異が生じました。被災した人、しなかった人。自分は被災しなかったものの、肉親や知人が被災したり、命を落とすことになった人......。そうした状況の中で、カメラを手にした人々の前には、「撮るべきか、撮らざるべきか」という、根本的な問題が立ちはだかりました。

「撮るべきだ」「撮るのが自然だ」と考えた人もいれば、「こんなときに撮るのはエゴではないのか」と悩んだ人もいました。実際に現地へ行ってみたところ、写真にできることの少なさに愕然とした人もいます。撮ると決めた人たちにしても、何をどのように撮るべきか、撮った写真をどう発表すべきかについて、いろいろの葛藤や決断があったはずです。そうした試行錯誤は、今も終わっていません。

それらすべての試み、経験に対して、深い敬意を表します。撮った人の経験も、直接的には撮らなかった人の経験も、後の世代へと手渡すべき、大切なものではないでしょうか。写真を見る側の者としては、差しだされた写真から何を読みとり、生かしていくことができるかを考え続けると同時に、「撮られることのなかった写真」や、「写されなかったもの」についても、考えていきたいと思っています。「何が写っているか」だけでなく、「何が写っていないか」についての想像力を喚起させるのも、写真というメディアの重要な機能だと思うからです。

●A2

写真に関する出来事に話を絞っても、忘れがたいものが数多くありました。たとえば、被災地で撮られた数々の印象的な写真。『アサヒグラフ』や『FOCUS』の臨時復刊。傷つき、汚れた写真の収集、洗浄。Googleによる「未来へのキオク」。Yahoo! JAPANの「東日本大震災 写真保存プロジェクト」。遺体を写した写真の是非をめぐる議論。被災地の人々にカメラを手渡し、当事者の目線で写真を撮ってもらうプロジェクト「ROLLS TOHOKU」。被災者の力強い姿を被写体にしたポスター「復興の狼煙」。生まれ故郷である陸前高田の、被災以前と以後の姿を対比してみせた畠山直哉氏の写真展「ナチュラル・ストーリーズ」。大森克己氏の写真展および写真集「すべては初めて起こる」......。その中でもとくに、今井智己氏の写真展、「遠近」を挙げておきたいと思います。

東京のブロイラー・スペース(現・ギャラリーレイヴン)で、5月に開催されたこの個展では、二階建てのギャラリーを使って、一階には風景や室内空間を撮った新作7点が、二階には、2010年に写真集としてまとめられた「A TREE OF NIGHT」のシリーズが展示されていました。

fig_1「遠近」展 展示風景(C)今井智己

「A TREE OF NIGHT」において鍵となるのは、点字の綴られた本を被写体にした写真です。その写真を見る者は、そこに写し撮られた点字という存在を、目で〈見る〉ことができます。しかし、その点字を指先で追うことで浮かび上がる、目の見えない人たちが〈見ている〉世界を、直に体験することはできません。また、点字の写真とともに置かれた、街中のスナップ写真にうつるものを、目で〈見る〉人もいれば、その様子を描写した点字によって、〈見る〉人もいるでしょう。そのとき、〈見える〉とは、〈見えない〉とは、一体どういうことなのでしょうか......? 〈見える〉と〈見えない〉との間にある差異には、どれだけの数と深さがあるのでしょうか? その深さを、お互いに埋め合うことはできるのでしょうか? 

この問いは、一階の新作にも通低音のように響いています。並んでいるのは、どことなく震災や原発事故との関連性を漂わせる写真たち。緑色のヘドロにまみれた何かの破片や、年季の入った木造民家の天井、海や山などを撮った写真は、震災や津波に襲われた土地や、そこで営まれていた人々の暮らしを想起させます。不気味なほど白く、無機質に管理された閉鎖空間の写真を見ていると、「技術による制御」への過信と、その過信が引き起こした惨事を想わずにはいられません。
 
fig_2「遠近」展 展示風景(C)今井智己

会場にはキャプションも解説文もなく、写真が実際に、震災や原発事故のおりに撮られたものなのかどうか、はっきりしません。しかし、それらがどこで、何のために撮られたのか分からない、素性の〈見えない〉写真であるからこそ、逆に〈見えてくる〉ものがあります。「東北」や「フクシマ」は、扇情的なワイドショーなどによってイメージが単純化され、〈見えない〉ものになりつつありましたが、そうした「固有名詞化の罠」から一歩離れたところにある写真を見ることで、いつのまにか事態を〈見知っている〉つもりになっていた自分に気づき、状況を捉えなおすことができるようになるのです。「そこで何が起きているのか、起ころうとしているのか」を、自分なりに〈見よう〉とし始めることが可能になるのです。

写真の中の無名の空間や景色が残す、いつかどこかで見たもののような印象。そこから、震災や事故が決して特異な出来事ではなく、自分の生きる日常の延長線上に存在しているのだという実感が、じわじわと立ち上がってきます。放射線という〈見えない〉脅威が、日々の生活を静かに蝕みつつあるのだという実感も。もし、そこに並んでいるのが説明的な、わかりやすく解説の添えられた写真だったとしたら、果たしてここまで痛切な、主体的な想いを得ることができたでしょうか。説明的な写真が必要な時も、もちろんあります。しかし、そういう場合ばかりではないのです。

一階の写真のなかに、実際に福島第一原子力発電所を写したものが含まれていたことは、後になって知りました。山むこうに、見えるか、見えないか......という大きさで、建屋が写っていたのです。別の写真には、建屋こそ見えないものの、発電所を取り囲む山並みが写し撮られていました。それはまさに、報道で見慣れたものとは異なる、「固有名詞化」を逃れた原発の姿をとらえた写真であり、その景色の中に暮らす、原発周辺の人々との距離を示す写真でもあったのです。

fig_3「遠近」展 展示風景(C)今井智己

並べ方や言葉の添え方によって、いくらでも意味を操作できてしまう写真の曖昧さ。それは、とても扱いが難しいものです。操作の具合によって、見えるものが見えなくなったり、見えないはずのものが見えてしまったりします。「遠近」展は、その難しさにあえて立ち向かい、〈見えるか、見えないか〉の境界線の上に立つことで、〈見る〉ことの多様性や可能性を教えてくれていました。

●A3

震災をめぐる連続企画展「Remembrance 3.11」が、2月から4月にかけて、東京と大阪のニコンサロンで開催されます。地震直後から現地入りし、物資を届けながら撮影と報告を続けた石川直樹氏、広島の街並みや各地の自然風景を、独自の視点でとらえてきた笹岡啓子氏など、若い世代の写真家も多数参加。見逃すことのできない企画になりそうです。

また、A2で触れた今井氏は、東京のエプサイトでの個展「mapping TAIPEI」(2月17日-3月1日)と、目黒区美術館で開催されるグループ展「メグロアドレス─都会に生きる作家」(2月7日-4月1日)への参加を予定。どちらも楽しみです。2011年の目黒区美術館では、「原爆を視る1945-1970」展の開催中止という非常に残念な出来事がありましたが、その内容が何らかの形で公開されることも、切に期待しています。

ニコンサロン:http://www.nikon-image.com/activity/salon/
今井智己:http://www.imaitomoki.com/home/


INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引 『10+1』DATABASE
ページTOPヘ戻る