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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

酒井隆史

●A1

3.11とそれ以降の出来事は、いくつかの意味で1995年のいわば「真実」をあきらかにしたと思う。そのひとつが、阪神大震災はただ一つの破局的災害であったと同時に、ある時代の終わりと始まりを告知していたということだ。つまり、大地震多発期の始まりである。地震学者たちの指摘する日本の地質学的環境とそれに由来する地震の周期からみるならば、私たちがそのうちに時代の推移をおいてきた環境は、この社会を把握するにはあまりに狭隘であり、ある意味では、ある僥倖にすぎないものを自明の前提におきすぎていたように思う。とりわけ都市を考えるとき、そうであった。この限界を超える都市の考察と記述を、どのようにおこなうか。
・実践としては、やはり、人々が自発的に放射線量を測定し、それを通してネットワークを構築しているという動きが目を惹く。このことと関連するが、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』における有名な橋についての言葉がこの間、しきりに想起される。「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は空から降って湧くものであってはならない、社会の全景にデウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕によって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ__市民は橋をわがものにせねばならない。このときはじめて、いっさいが可能となるのである」。市民が橋をわがものにできるような社会のヴィジョンに幾度も立ち返ることが最低限の発想の起点になるべきかと思っている」。

●A2

私自身、ひたすら過去の史資料に埋もれていたので、2011年の動向についてはほとんどわからない。あげるとすれば、国際的に拡大した「占拠(オキュパイ)」の動きであろうか。これは出来事として目を惹くが、ここしばらくの長期にわたる都市の抗争の核心にある争点が明確化したものだと思われる。

●A3

2012年についても同じようなことがいえる。災害も「占拠」運動もそうだが、自然と人の動きは、仕切られ商品化されるべき「土地」を越えた「大地」の激動を示唆している。それに応答する表現や実践がますます活発化していくことが予想される。そこに注目したい。


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