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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

小林恵吾

●A1

昨年の10月末一時帰国した際に八戸あたりで車を借りて海岸沿いを仙台までずっと南下することにした。3.11の震災からすでに半年以上の時間が過ぎていたし、これまで東北には仙台市街地と気仙沼以外には行ったこともなかったので、そこでなにに遭遇するかまったく想像もつかないまま「とにかく自分の目で確認しなくてはならない」という衝動に駆られるがままに行動していた。

震災の起きたあの瞬間から、日本人の誰しもがとても久しぶりに「国」または「国土」という概念を強く意識せざるをえない状況におかれたのではないだろうか。広域にもたらされた津波による被害や、あらゆる境界を越えて広がる放射能の恐怖、復興対象の膨大な規模、地方の縮小と少子高齢化、首都機能の分散の話などなど、ある一箇所の問題がそこにとどまらずに国土のあらゆる問題と直接的に関係してくるという状況が今回はっきりとしたかたちで浮き彫りになったように思う。これまで国に頼ることを諦めて「地域」という単位に目を向けていた人々は、おもに経済と政治のなかでしか国という単位との繋がりを意識することがなかったのに対し、この日を境にして、突然日々の生活に直接的に「国」や「国土」というスケールの問題が重なり合うという状況に直面していると思う。
被害に遭ってしまった当事者の方々や、建築家、ボランティアの方々など、いろんな人にお話を聞いていくなかで見えてきたのは、国に対するあからさまな不信感であった。しかし、それは同時に今回否応なしに突きつけられたこのリアルな「国」という単位の問題に対して、どのように向き合ってゆけばいいのかわからないという、大きな戸惑いでもあるように感じられた。

2011年は震災を後追うかたちで、レム・コールハースによるPROJECT JAPANの出版や森美術館におけるメタボリズム展が続いたが、どちらも国や国土というスケールの問題に対して過去の日本人がどのように向き合っていたのかということを提示している。つまり、これまでひとつの建築運動としてとらえられてきたメタボリズムに対して、じつは、「国」と「個人の生活」という異なるスケールの問題をひとつにとらえ、そして解決しようと試みた過去の日本人の姿を示している。
あれから50年、国土と地域、国と市民のあいだに対比的な意味合いが生じている現在、この震災をきっかけとして、もう一度このスケールの差を超えた次元での問題解決に双方が取り組める基盤を築けることを期待したい。そして、建築家はそのどちら側につくというのではなく、そのあいだに位置するということを積極的に認識する必要があるように感じている。

●A2

2011年の正月、日本で過ごしていたところを急遽事務所から呼び戻され、その足でシリア・ダマスカスに向かった。ダマスカス国立博物館の設計競技を担当することになり、その敷地を視察。当時はまさかその三カ月後の市民革命運動によって提出直前にして競技が延期になるとは思ってもみなかった。
2月上旬のチュニジアに始まり、エジプト、リビア、バーレーン、イエメン、シリアと次々にアラブ国家を革命の渦に巻き込んだ「アラブの春」は、独裁国家に対し自由と最低限の豊かな生活を求めて民衆の怒りが爆発した結果だった。当時、リビアでも仕事をしていたが、シリア同様、ガダフィが殺害されたころにはすべての進行中プロジェクトが中止となっていた。
8月、中東での報道が落ち着きを取り戻しつつあったなか、今度はアメリカのウォール街で、社会の貧富の差に対して市民による大規模な抗議デモ運動が発生する。その運動はその後、海を越え世界中の先進国でも行なわれた。振り返れば、独裁主義と資本主義がほぼ同時に市民の批難にあった年というのが2011年であったと思う。

この背景で盛んにメディアに取り上げられていたのがFacebookやTwitterといったソーシャルメディアの影響力であり、これまで国という単位が絶対であった世界情勢において、国境を越えて同じ意見をもつ個人の集団という単位がその規模や影響力において国家に比等するほどの力を持つということも、この2011年に明確に提示された。
つまりこれまで国の利益=民衆の利益、国の思惑=民衆の思惑といった概念に基づいて成り立ってきた世界が、いま少しづつ崩れつつあり、民衆に対する国としての役割があらめて問われている気がしている。

そうしたなか、ひとつのヒントとして挙げたいのが、FORBESによる2011年の世界「幸せな国」ランキングの結果である。これをみると社会民主主義に分類される国々が圧倒的に上位を占めている。北欧各国はもちろんのこと、オーストラリアやニュージーランドなど、福祉国家と言われている国々であり、いずれも世界中が不安定な状態にあるなかで安定を保ち続けている。
国という概念や、世界における個人の立場といったものが、大きく変化しようとしている現在において、そこに生きていくうえで不自由のない生活を確保することが人々の幸せにつながるということ、そしてそれを確保することが国という単位に残された数少ない義務であるということを意味しているように感じている。

エジプト・タハリール広場でのデモ ©Gigi Ibrahim
URL=http://www.flickr.com/photos/gigiibrahim/6400815003/


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