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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

五十嵐太郎

●A1
・東日本大震災は、現在、とてもホットなトピックになっているが、その記憶が10年後、30年後、50年後、100年後にどのように受け継がれているか、あるいは忘却されているか。実際、われわれは近代以降の巨大津波でさえ、ほとんど忘れていた。今回は写真やデジタル情報が多く残るとはいえ、本当にそれらはどのように残るのかも興味深い。
・職場を失うという意味で、半分被災者になったので、自らの実践について書きます。東北大学の建築棟が大破し、しばらく漂流教室を実践した。後世への記憶にモノとして残すべく、女川町の津波で流された倒壊ビルの保存プロジェクトを研究室で提案したこと。また、南相馬市の仮設住宅地において、塔と壁画のある集会所の基本設計を研究室で担当した。

●A2
・3月下旬に気仙沼のリアスアーク美術館を訪れ、家を失い、そこに住み込んでいた学芸員の山内宏泰氏から聞いた話がもっとも印象に残っている。歴史研究者として、今回の津波をどう位置づけるか、復興と記憶に関して、どう考えるかなど、大きな影響を受けた。彼は、急いで同じ場所に同じような建物をつくっても、自分の子どもや孫が同じような被害を受けることは堪え難いと述べていた。現在、生きている/生き残っている人たちだけのことを考えるのではなく、津波によって無念にも亡くなった死者、そしてまだ生まれていない未来の人たちのことも想像すべきではないか。拙著『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)にも、山内氏のエピソードを記した。

●A3
・現在、筆者は「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか:緊急/仮設/復興」展を国際交流基金と企画しており、国内外の50のプロジェクトをパネル、模型、実物展示によって紹介する。これは2012年3月に東北大学でスタートし、2年間、海外の各地をずっと巡回し続ける。展示品は2セット制作し、同時に2会場で展覧会が動き続けるのだが、それだけ海外の関心も高いのだろう。
ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2012の日本館における伊東豊雄コミッショナーによる展示に期待している。海外に向けて、どのように建築の原点を示すのか、また写真家の畠山直哉がどのように介入していくのか。
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