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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

日埜直彦

とりわけ今年は書き並べていくときりがなくなりそうなので、2点だけ記しておく。委細は省く。

まず1点、「お客様」社会化、とでもいうような社会の状況について。可能性として想定されていた災害が現実のものとなり、あらかじめ想定されていたはずであるにもかかわらずそれへの事後対応はしばしば稚拙であり、結果として言語道断な事態に立ち至った。そこで露呈したのはセグメント化された内輪の論理の根本的欠陥であり、それゆえオープンな場で検証され正されるべき問題である。問題そのものが難しいというよりも、単に水面下に隠れていた不当さに過ぎず、どうそれを正すべきかは基本的に自ずと明らかになる性質の話のはずだ。だからそのこと自体はそう問題ではなくて、むしろどうにも重くのしかかる問題は、こうした問題について不平を言うばかりに終わる態度をどう社会が乗り越えられるか、である。3.11以降正体不明の不安に巻き込まれ、戸惑い、そして誰かが悪いという類いの非難の渦を誰しも見聞きしたはずだ。だがあらためて言うまでもなく社会活動においてわれわれは、単に消費者ではなく、それにコミットする主体である。ものごとを考えるうえでなにを共有の基礎とし、なにを議論のフレームとし、どういうロジックを持ってそれに対するか、こうしたことを組み立てる主体性がわれわれの社会を支えていたはずなのだが、その実体の空虚さが露呈した。細かい問題はともかく、そうしたことが大きくは成り立っているという近代社会的な期待が泡沫に過ぎなかった、という重い驚きが何を考えるにつけのしかかってくる1年であった。それは結局のところ、セグメント化した内輪の論理にちょうど対応するように、われわれは「お客様」化していた?ということではないだろうか。
こうした戸惑いは必ずしも個人的なものではないのだろう。例えば東浩紀『一般意思2.0──ルソー、フロイト、グーグル』(講談社)はこうした「お客様」社会化を否応ない現実として受け入れ、それを前提としてガバナンスをどう考えるかという問題に向かっているように読めた。論旨は抽象的に感じたが、その問いの発するところはわからないでもない。

東浩紀『一般意思2.0──ルソー、フロイト、グーグル』

第2点、都市について考えることの多い1年だった。と言っても昨年もそんなことをこの同じアンケートに書いているのだが。個人的には大きくは2点、『建築雑誌』1月号の特集「未来のスラム」に関わり、10月にトークイヴェント「Unknown Tokyo」で東京の歴史とトポグラフィーについて考えてきたことを集約した。前者はグローバライゼーションの時代における都市のマクロの問題、後者は東京に焦点を当て都市のミクロから都市論への道筋を窺う問題。この種の話に入れ込みすぎではないかと自分でも思うのだが、来年もまだまだやってそうな気配である。個人的な話だけではなくて、森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展」(森美術館、9月17日~2012年1月15日)は特筆すべき成果だろうし、八束はじめ『ハイパー・デン・シティ』(INAX出版)やその他の最近の建築家の都市的ヴィジョンの試みもそれなりに数は揃ってきた。社会学系の空間論として篠原雅武『空間のために──遍在化するスラム的世界のなかで』(以文社)があり、その他東京論に関連する書籍も今年は多数刊行された。抽象的な都市観の前提を脱ぎ捨て、歴史をふまえた具体において問題のフレームを組み立て直す機運がひろく醸成されつつあるのではないだろうか。そのとき建築も都市の「お客様」ではいられないはずだ。都市に対する主体性の足場をわれわれはここに築くことができるだろうか?

八束はじめ『ハイパー・デン・シティ』

篠原雅武『空間のために──遍在化するスラム的世界のなかで』

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