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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

辻村慶人

●A1

2011年はたくさんの友人が日本を去り、新しくやって来た人にはほとんど出会えない、別れの多い年でした。危機になれば、外国からやって来ている移住者はとても弱い立場に置かれ、簡単に国から去ってしまうんだなあということを痛く気付かされました(しかし、即座に移動できるのは比較的裕福な層ですが)。都市にとって、人の移動は魅力的な要素であり、人の行き来が活発であることが喜ばしいことなのだとすれば、魅力のない都市から人が去ることもまた運命でしょう。僕はこうして2011年、日本における移住者のことを考えていました。
2005年に、国連からの特別報告者であるドゥドゥ・ディエンが来日し、日本における「重層的なゼノフォビア(外国人嫌悪)」に対する政府の取り組みがなにもなされていないと報告書を提出してから、立て続けに特別報告者の来日が相次ぎました。2009年のジョイ・ヌゴジ・エゼイロは、「国境を越えた人身売買」について、2010年のホルヘ・ブスタマンテは「日本での移住者の権利侵害」について。どちらも日本政府の移住者に対する無策を厳しく注意するもので、05年〜10年という短期間に、3名もの国連特別報告者が来日することは、世界でも例を見ない異常な事態となりました。
日本では、まだまだ、移住者を受け入れれば犯罪が増加し失業率が上昇するという、被害妄想的な懸念ばかりが先行し、仮に受け入れに積極的な議論があるとしても、少子高齢化対策としての労働力確保という話であり、これはブスタマンテ氏も言及するように移住者政策ではなくたんなる管理の方法に過ぎません。途上国の労働力が爆発的に増え、労働の需給にミスマッチが拡大する世界では、日本一国が移住者の受け入れを拒絶したところで、その数は減らないし、経済大国である日本がその波から逃れられるわけがありません。受け入れる/受け入れないという主義主張の問題ではなく、これは世界中で起こっている現象(グローバリゼーション)であり、われわれは社会的費用をなるべくかけずに利益を享受できる政策を、一刻も早く考え出さなければいけません。
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池袋駅北口の雑居ビルにある中国食材専門スーパー。中国語表記はほぼ中国語のみ

●A3

来年7月から、従来の外国人登録制度が廃止され、新たな在留管理制度が始まります。不法滞在者には在留カードが支給されず、仕事に就くことも非常に困難になります(もちろんそうするべきだとあなたは言うでしょう?)。雇った側も罰せられます。これもまた移住者政策ではなく、戦後以来連綿と続く外国人管理のひとつの形態に過ぎません。というわけで、先述のブスタマンテ勧告を、日本政府は完全に無視したことになります。
ただ、2011年の終わりに言っておかなければならないとしたら、いままでここで書いた話は、信念であり、読めばわかるとおり、だいたいが優等生的な考えです。いくらこのような「べき論」を熱弁したところで、多くの日本国籍保持者は反発こそすれ、歓迎するわけがないし、国連から何人もの報告者を送り込み、人権団体がプレッシャーをかけたとしても、結局、外国人にどれだけの権利を与えるかを決めるのは、そこに住む人たちの意識の問題です。それが変わらない限り、法も政策も人権もあったもんじゃありません。さらに付け加えるならば、日本にいる移住者すべてが、毎日泣いて暮らしているわけではありません。ここに住んで幸せだと言う人が圧倒的に多いし、ビジネスを始めて、けっして母国では手にできない富を築いた人も多くいます。2012年は、ぜひ都市や建築の専門家の方たちにも、日本の、東京の移住者の問題を積極的に考えていただきたいなと思います。都市は、そこに住む人たちなくして始まりません。僕を含む『TOO MUCH magzine』も引き続き考えます。
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高田馬場にある日本ミャンマー・カルチャーセンター。ミャンマー人には、日本語を格安で教えている
ともに撮影=阿部健


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