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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

饗庭伸

●A1
2つのことを考え続け、ひとつのことは考えるのをやめてしまいました。

ひとつ目は、都市の成長─変遷─破壊─復興の時間軸が、見えなくなっているという問題です。

1945年以降、成長を信じて空間に対する投資を積み重ねてきた日本の都市や集落に対し、(1)「戦後の成長の仕方は間違いであった。ある時点に立ち返って、そこから新たに都市をつくり直し、違う成長を目指す」という考え方と、(2)「そもそも成長するという考え方が間違えであった。災害が多いところでは、永続的な都市空間など、そもそもない。次の都市も『仮住まい/普請中』であることを前提としなくてはならない」という考え方の2つがあると思います。
過去の津波復興計画を見ていると、経済成長と復興のタイミングが重なったチリ地震の復興計画は明らかに間違いが多いです。(1)はその前くらいに参照できる正しい空間構造があり(例えば神社の位置など)、それをもとにしっかりした建物を建て、100年以上使える美しい三陸を復興しよう、という考え方です。(2)は津波で流されることを前提に、ある程度コントロールをきかせながら仮設市街地やバラックをもとに復興を進め、津波で流されたらまた新しい都市や集落をつくればよい、という考え方です。(2)の考え方が有効になっている背景には「想定外」の問題があり、災害は本当に1,000年に1度だったのか、数年後に違う津波に襲われる危険性はないのか、多くの人はそれを感じています。戦後の都市が拠って立っていた地球科学のもろさが露見してしまったため、私たちは「想定外が次々と起きる」という想定をせざるをえません。そのときに、都市や集落の空間に過大な投資をしない、新しい計画の学が求められます。(1)と(2)は大きく異なりますが、私たちは待ったなしで空間を計画していかなくてはなりませんので、そろそろ決めなくてはならないと考えています。

2つ目は、復興を動かす社会経済システムの問題です。国家が前面に立つ土建国家モデル、都市が前面に立つ都市分権モデル(災害前のシナリオはこれです)、共同体を重視するユートピアモデル、世界に助けを求める世銀モデルなどありますが、現時点できちんと議論しておかなくてはならないのは、グローバルな経済と、被災地の社会経済システムとの関係をどう設定しておくか、ということです。今回の災害は、世界レベルで経済が繋がった時代における、先進国における初の大規模災害です。鎖国のように関係を断ち切って、被災地の経済のスピードをスローダウンさせる(少ない量の貨幣を地域の中で循環させることに重きをおく)という手もあります。一方で迅速に快適な都市空間を調達できるよう、グローバル経済に「ちょっとだけ手伝ってもらう」ということができないかなも考えています。

3つ目の諦めてしまった点は「建築は土木とわかり合えなかった」ということです。災害の直後に私は、結局は日の目を見なかったのですが、以下の一文を、ある目的でしたためました。
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強大な津波のすべての力に対抗し、すべての財産を守る都市や集落をつくることは難しいと考えます。しかし、命が失われることはあってはなりませんし、これからも起きるであろう大きな災害を受けた後に、地域コミュニティや自治体が立ち上がっていく「復元力」を育むことが加えて重要であると考えています。また、それらを守り育むものは、単独の防潮堤、単独の建物ではなく、それらの総合であるすべての建造物環境(built environment)であると考えます。復興にあたっては、すべての建造物環境が総体として命を守り、復元力を育めるような総合的な計画を立てるべきです。
───
その後の推移を見ていると、土木の技術者たちは驚くほどの割り切り方とスピードで空間(堤防等)の基準を決定していきましたが、建築の技術者たちはそこに協働することができませんでした。堤防等についての結論はあらかた出てしまっており、あとは現場で生成される政治的な合理性(平たく言えば条件闘争)で空間が決定されていくと思います。土木と建築が共通の科学的な合理性をつくりだすことができなかったことは残念に思っています。

●A2
メタボリズムについての大規模な回顧展が開催されたり、コールハースがそれらを含むものに新しい見方を与えたり、藤村龍至さんが国土計画に言及されたり、日埜直彦さんがスラム問題についての問題提起をするなど、メガロポリス〜国土スケールの大きな空間に対しての計画論が図らずともリヴァイヴァルしたことは面白く思いました。それらにリアリティを感じたのは、日本中が毎日のように揺らされて、「長野で揺れるとこんな感じなのか」とか「フォッサマグマってこういう形なのね」というふうに、国土のスケールが身体的、感覚的にインプットされたことが大きいと思います。普通の人が「東海、東南海、南海」と当たり前のように口にするようにもなったわけです。
東日本大震災の前まではさまざまな問題は都市レベルで集約して解決しよう(EUのモデルとも言えますし、2000年以降の基礎自治体への地方分権、平成の大合併などもそれを目指していた)という「都市主義」のベクトルがあり、「国土主義」は古いものであるという潮流があったわけですが、それが復活したわけです。災害とパラレルに意図せず国土主義の議論のアリーナやフォーラムが出現したことにとても興味を覚えました。
近代の計画は、主権者が統べるべき空間や大地の広がり(計画範囲)を前提として立てられてきたわけですが、現代の計画は、解くべきイシューに対してどの範囲でそのイシューを解くのが適切であるかというところから計画範囲が決定されます。経済が成長しない、人口も爆発しない日本において、どういったイシューに対して国土やメガロポリスといった計画単位が必要とされてくるのか、引き続き注目したいと思っています。

●A3
ここまでの2つの質問で、(A)都市の成長サイクル、(B)グローバル経済との対峙、(C)計画のスケールの3つの問題を整理しました。こうした問題に、社会がどういうふうに解を出していくのか、自身も参与しつつも注目したいと思います。
(A)は多くの地域や集落で取り組まれる復興計画の議論のなかにリソースがあるのでしょう。年末近くに発表された「津波防災まちづくり法」という飛び道具がどういうふうに現場の復興にフィットされるのかが気になっています。(B)はどこにリソースがあるのかはっきりとわからないのですが、なにぶん経済世界のことなので、石巻、気仙沼、大船渡といった都市性のあるところで、突然変異的なイノベーションとしてグローバル経済と対峙する面白い仕組みが立ち現われてくるかもしれません(外れたらごめんなさい)。(C)は国土やメガロポリスといった大きい空間の計画を可能にするための(普通の人たちが大きい空間に対する感覚をリニューアルし続けられる)情報技術の実装に注目したいです。もちろん、その先にどういう計画が描かれるのかも。人々の「一般意志2.0」を計るものとして「データベース」を持ち出した東浩紀さんの議論はその理論的な支えとなるものだと思いますし、一般意志2.0を探査(プローブ)する羽藤英二さんの作業や、膨大な情報群を直感的に理解可能なアーキテクチャーに表現する渡邉英徳さんの作業には注目したいと思います。
個人的には自身が関わる震災復興まちづくりの現場において、(A)(B)(C)をなるだけ多く組み込んでいきたいと考えています。
また、ここまであまり言及してきませんでしたが、来年は福島の問題を、空間の問題として本格的に考えることになると思います。
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