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特集:201101 2010-2011年の都市・建築・言葉 アンケート<

中谷礼仁

「名もなき」活動を通して


この5年間有志と続けてきた瀝青会(れきせいかい)の調査が今年ようやく終了した。その目的は今和次郎が1922年に発刊した『日本の民家』に掲載された名もなき家々をさがして、再訪することだった。それら家の多くは、名勝の地とはまったく関係のない「名もなき」土地にあった。ある地方では半数程度が残っていることもあった。最初の頃は、鍬をもった男性に村を出るまで同行されたり、いろいろあった。最後の頃には、その土地の仁義を身に付け深く知ることができた。この計画がなかったら、絶対に行かなかったであろう「普通」の土地を訪れることができた。日本は一枚岩ではない。それを実感できた。いくつか鮮烈な思い出があるが、今年あたりに限れば新潟と長野の境でみつけたある民家のことである。今の描いたその家がまさに解体されんとする時にその家族がその現場の様子を撮影したアルバムを発見した時である。解体途中の昼休みに、今は老年となった主人が息子をその正面前に立たせた記念写真を撮っていた。解体がつなぐ家族の記録のあり方は深く心に残った。それから京都・八瀬である。ここは八瀬童子という天皇家と深く関わりのある人々の住む強い共同体である。その民家を再訪して発見した床の間の深さ。聞いてみると、それは神に仕える順番がやってくるまでのひとときを、そこで生活するための空間であった。(それぞれ『住む』No.33、35、泰文館発行に所収)最後の旅は今年8月に訪れた青森であったが、そのほろ苦い経験はここでは書かない。ただ昭和30年代の青森を活写した『小島一郎写真集成』(インスクリプト、2009)の世界を納得して眺めるだけである。

少なくともこのようなゴリゴリッとした体験は都会に身を置き、さまざまな形態の情報を媒介している自分の日常の精神的バランスを支えるのに役立った。故白井晟一の再評価の気運が高まった一連の展覧会の最中に落とされたのが、復刻なった『無窓』(晶文社、2010)である。情報が伝わることをナイーヴに信じている人はぜひお読みいただきたい。伝えるということがいかに抵抗的なものであるか、松山巌の解説(今回新たに付された)が、私たちにその要を教えてくれる。

今和次郎『日本の民家』」/『小島一郎写真集成/白井晟一『無窓』

ほかにもいろいろなことを体験し、いろいろなものを見て、読んだが、今となってしまってはなぜか自分と遠いところにいるように感じる。それはきっとおそらく冒頭の日本の再訪の体験が与えてくれた、都市のなかの情報に対するある種の疎遠感、クールさである。その意味で当方が幸いにかかわることのできた作業は、今後ともそのオペレーションに間違いはなかったと後になっても感じられると思う。今触れることはできないが、さまざまな発見とその実現の機会をいただいた、多くの師、友人とそのネットワークに感謝したい。


- 日本建築学会発行『建築雑誌』2010~編集長
- 第1回吉阪隆正賞
- 早稲田建築アーカイブス
- 建築家 白井晟一 精神と空間 記念シンポジウム「空隙(くうげき)としての白井晟一 20世紀における建築家白井晟一の位置づけ」
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