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特集:201101 2010-2011年の都市・建築・言葉 アンケート<

松原慈

2010年はTOO MANY A'S。手帳に残るのは、Aばかり。

Africa帰りの正月。摂氏40度を超える土地でクリスマスを過ごした名残は、浅黒く灼けた腕。酷い時差ぼけのために元旦の初詣を逃す。
Avatarを観たのは2月1日。東京は雪が積もり道が滑った。映画は12月にナイジェリアでも大人気だったが見逃していた。数日後には、雪深いAomoriへ。Aomori県立美術館とAomori国際芸術センターにて、建築ワークショップを行なうためだった。その週、Alexander・マックイーンの悲報が流れる。
Atlanta経由で、3月、ニューヨークを訪れる。春雪のいたずらでケネディ空港が一晩閉鎖したために、遠回りでマンハッタンへ入った。真っ白いニューヨーク、数日かけて雪が解けると、恒例のArmoryショーで、景気回復の見込みなくとも賑やかな街。グッゲンハイムを空(から)にして集客したティノ・セーガル個展が幕を閉じると、ほぼ入れ替わりのタイミングで、マリーナ・Abramovicの大回顧展が近代美術館で始まり、話題をさらう。
Aprilフール、4月、Assistantは一夜限りの学校Absentスクールを開校し、空間と写真を題材に「フレアプール」と名づけた公開勉強会を開催。勉強会の名前はAnagramで決めた。
5月、Arakawa修作の訃報が駆け巡る。この頃、積極的に自転車に乗り始める。自転車は車のAntiでもAdditionでもなく、Alternativeだと考えるようになった。機械に身体が取って代わる。
Apichatpong・ウィーラセタクンがカンヌでパルムドールを受賞した晩は、メールの受信箱に、時差の順で受賞を祝うメールが飛び交った。6月のこと。みな彼のことが大好きなのである。
Africa共和国でワールドカップが開催された今年の夏。7月に、タンザニア生まれの建築家デイビッド・Adjayeが来日。同時期、Assistantが開催した第2回目のAbsentスクールでは、Africaでもっとも新しく小さな国、エリトリアの首都Asmara市のモダン建築を紹介する。Another Africaとは、もうひとつのAfrica。今後は"Another"を都市・建築を語るキーワードに使いたい。
猛暑の8月は、スタジオに閉じこもっているとAichiトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭の活気が聞かれた。
秋に入っても暑さは収まらない。湿った9月、Akimoto康がAKB48でグッドデザイン賞を受賞。
10月、Ai Weiweiによって、テートモダン・タービンホールに1億個のヒマワリの種が撒かれるが、すぐに入場禁止になり、ロープが張られる。今年話題の展覧会は、ロープ越しに見るものが多い。
11月、Australia人のインフォメーション・Anarchist、ジュリアン・Assangeが国際指名手配となる。
12月、Assistantは京都で「すなわち、言いかえれば」と題して回顧展を開催。2年振りに来日した元Archigramのピーター・クックは、講演スライドでArchigram時代のドローイングと2010年のプロジェクトを隣同士に並べて見せ、40年のギャップを埋める。
メモに残るのはAばかり。あなたの手帳もきっと同じに違いない。2010年にとって、このことは不思議ではない。Aが多すぎるSANAAによって、それ以外のアルファベットは吹き飛ばされてしまったのだから。

2011は、数がよい。だが、10から11へジャンプするのは容易ではない。
11は見た目に左右対称だが、両手で数えられない最初の数である。来年は、そのあたりを手がかりに考えようか。

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assistant展「すなわち、言いかえれば」、会場風景

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