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特集:201101 2010-2011年の都市・建築・言葉 アンケート<

鷲田めるろ

『金沢の茶室──現代に息づく茶道のまち』(金沢市、2002)

"金沢でなにが可能か"は11年前に金沢に来て以来、常に考えていることだが、金沢21世紀美術館という新しい美術館の開館にSANAAと取り組んだ前半5年間、CAAKやまちやゲストハウス、kapoなど、市内に点在するNPOの設立にアトリエ・ワンやアーティストと情熱を傾けた後半5年間に続き、2010年は、次の新しいステップに踏み出した年であった。工芸と茶道である。10年間にわたるコンテンポラリーアートの導入期間を経て、ようやく地元の伝統文化に向き合う準備ができたように感じる。
また、2010年は、前年の半年間のベルギーでの経験をどのように金沢で活かすかという模索の年でもあった。ベルギー滞在で感じたのは、生活スタイルの違いがアートに向き合う姿勢の違いを生んでいるという点である。カトリックの多いベルギーは、北方にあってもラテンな気質で、仕事に勤勉であることよりも生活を優先する。夕方5時以降は働かないし、もちろん土日は働かない。夏休みもきちんと3週間は取る。では、夜はなにをしているか。家に友人を招いて簡単な料理とお酒でわいわいやるのである。私もこの気軽な招待をよく受けたが、みな家をきれいにし、壁にたくさん作品を飾っている。多くは若い作家の作品である。作品を買うことの垣根が低い。ベルギーは、コレクターが多く、私の在籍したS.M.A.K.でも、コレクターがオフィスに頻繁におしゃべりをしに来ていた。S.M.A.K.のコレクションのなかで、コレクターからの寄託作品の割合は大きい。コレクターとキュレーターが見る目と価値観を共有している。このような生活スタイル、美術との関係があってこそ、個人の家を会場とした展覧会「シャンブル・ダミ」(1986)も実現したと納得した。
金沢ではどうか。街の規模、家賃の安さ、そして培って来た文化度の高さを考えると、日本の都市では珍しく、ベルギーのような、人を家に招く生活スタイルが可能な都市ではないだろうか。そのように考えたとき、金沢では、茶道というかたちで、道具を整え、お互いに人を家に招き、もてなすことが行なわれてきたことに気づいた。ベルギーの生活スタイルを意識しつつ、金沢の茶道文化を学び始めることが、私の2010年であった。
そのなかで面白かった1冊を紹介したい。2010年に出版された本でなくて恐縮だが、『金沢の茶室』という本である。非公開のものを含む、金沢にある茶室を紹介した本で、寺や公共施設、料亭、旅館などに混じり、自邸に茶室を設けた例が多く紹介されている。いまの日常生活のなかに、茶室を組み込むときの苦労と妥協、そして工夫が図面や写真から読み取れてたいへん興味深い。茶室に関する本は多く出版されているが、それらの多くは、過去の有名な茶室や庭を説明し、参照するものである。『金沢の茶室』が面白いのは、町の生活者の工夫を見せている点にある。各茶室の、水屋や母屋との関係を示す平面図を掲載しているのはありがたい。それによって、どのように狭い生活空間のなかで、路地など人を家に迎え入れる動線を確保しているか、防火地域など法律の規制や、雨や雪の多い気候のなかでの土間の使い方の工夫、広間と小間の組み合わせ方の工夫などを読み解くことができる。また、所有者と移築の歴史、本歌と写しについて説明が短くまとめられている。
茶室には、亭主である施主の好みが強く反映されている。西洋近代的な建築家に対しての施主と言う意味もあるが、さらには、書院に対して、茶室が草庵的な、くずしの要素を含んで発展してきたという意味でも、自由に施主の好みが反映されやすいと言える。そして、この本に掲載された個人の所有者の多くは、お茶の先生などの専門家ではなく、商人など別の本職を持ちつつ、茶をたしなむ人たちである。こうした、町の人たちが、自分の家に人を招き、もてなすために重ねてきた工夫に目を凝らしながら、今日における、人を家に迎える生活スタイルを考えてゆきたい。そこには必ず美術や工芸がともなう。美術館、NPO団体とともに、美術の重要な場となるはずである。

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『金沢の茶室──現代に息づく茶道のまち』(金沢市、2002)

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