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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

assistant 松原慈

タカシムラカミとハルキムラカミ

ラストサムライとロストイントランスレーション

フィーバーとホームレス


2004年、初春。
ロンドン・ソーホーの街中に、二つの映画の看板が貼られた。
トム・クルーズが演じる『ラスト・サムライ』とソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』。二つはほぼ同時に街の映画館の多くを占領した。ちなみにそのひとつ前に看板を飾っていたのは、タケシキタノの『キクジロー』。私は『ラスト・サムライ』を意図的に観逃したものの、あちこちのバーで起こる『ロスト・イン・トランスレーション』についてのディベートに参加せざるを得なかった。

2004年、初夏。
ロンドン・ソーホースクエア、晴れた6月の午後、都会の小さな芝エリアはごった返していた。友人に混じり、カーリーヘアの見慣れぬ顔が読書にふけっていた。初めて紹介されたギリシャ人の彼女の襟元にはタカシムラカミの花模様の缶バッジが光り、彼女が読んでいた本はハルキムラカミだった。彼女に日本人の友人はおらず、アジアを訪れたこともない。スタイリッシュな彼女は、ギリシャで建築学校を卒業し、当時、オランダのアインドーベン・デザインアカデミーで勉強していた。

ゼロ年代の東京を振り返るときにショッキングだった事件のいくつかは、こうした出来事に回収される。上の二つの歴史的事実に、ロンドンで学生生活を始めたばかりだった私は、驚愕した。カフェに立ち寄れば、見知らぬイギリス人の若者たちに「東京が大好きだからいつか行きたい」と言われ、握手を求められる。彼らは総じて次にこう言うのだ。隣のテーブルに座るファッショナブルなアジア人を指差し「彼らもジャパニーズでしょ?」。私には二の句がない。隣の席から聴こえてくる会話が、日本語ではないだろうことを知っているからだ。

これらの事件は、北京オリンピックに前後して高らかにこだまする都市の噂を、2004年の時点で私に耳打ちしていた。一昨日の晩いたソウルで、2年ほどソウルで暮らす若いアメリカ人建築家が私に言った。「東京に、いつか行きたいと思っているんだけど、なかなかチャンスがなくてね。ソウルに住んでると、北京か上海には誘われる用が多いんだけど。でも、サムライチャンプルーって知ってる? 日本のアニメでしょ? DVD全部もってるよ」。ドイツ・アンティーク家具の収集家が経営するカフェでの、ソウルに集まる各国の建築家と芸術家、そして美術関係者を集めた小さな会で。
また、昨年北京で出会った20歳のイギリス人の少年は「北京に住めて本当に楽しいよ。東京...? 変だな、考えてみたことなかった」と笑っていた。

ハルキムラカミの英訳本は、ロンドンの本屋街Charing Cross Roadに立つ最も大きな本屋、BORDERS1階のメインテーブルを占拠した。それにしばし遅れて、日本では、村上春樹による『グレート・ギャツビー』の新訳が出版される。物語が上書きされるとき、言語は新しい。『グレート・ギャツビー』は、村上春樹が訳せなかった「オールド・スポート」という流布せぬカタカナ語だけを残して、全面刷新される。貧民に近かったロマンティックな男が、ギャツビーという運命を手にする、1920年代のアメリカのおとぎ話。
ほぼ同時多発のムラカミ・フィーバーを経て、東京に残るのは、ジョギングとサイクリング。東京へのスポットライトから逃れるように、(あるいは、スポットライトの下に胡座をかくのに飽きたかのように? それともジョギングこそがムラカミ効果?)、身の回りの手触りを求めて人々は四肢を動かし始める。

ゼロ年代の都市に求めたのは日常性の回復と感情の救出。「正確さ」を欠いた記録の流布は、好ましい状況である。求心性を失ったメディアで、噂はヴォイスの質量をもつ。バッシングはゼロ年代の刑務所。精神的に追いつめられても身体は自由でいられる。そして、プラダ・マーファ(Elmgreen & Dragset)はゼロ年代に予期せず落ちた、誰も見たことのなかったUFO。落ちた場所はGoogle Street Viewでしか観光することができない。
東京は、ディストピアン・ユートピアからユートピアン・ディストピアへの道をたどる。2009年11月最後の週、世界で3番目に見られていたミュージック・ビデオはFever Rayの"Keep the streets empty for me"。スウェーデンの若手監督が撮影した映像の舞台は、ディストピア・東京。街を彷徨うのは、汚れたファッションをまとうホームレスである。

『ラスト・サムライ』/『ロスト・イン・トランスレーション』/『サムライチャンプルー』/『グレート・ギャツビー』新訳/『Fever Ray』CDジャケット

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