ENQUETE

特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

伊藤亜紗

まんが喫茶


80年代のテレクラにしろ90年代のカラオケにしろ、あるいはラブホテルにしろ、かつての「都市のなかの個室」は個人が欲望を解放し快楽を得るために囲われた空間だった。欲望、つまり資本主義と結びついていた。しかしゼロ年代のまんが喫茶が囲うのはせいぜい個人の控えめな娯楽であり、あるいはつかのまの睡眠、ときには最低限の生活や労働の合間の休息ですらある。格差が拡大した後期ゼロ年代において、まんが喫茶は個人の生の最後の受け皿となり、ほとんど社会保障の代理物として機能しているかのようである。囲い込みは、もはや都市という匿名の空間から個人や特定の集団を隔離するためにあるのではない。それは社会のゆがみが生み出した必要不可欠な機能である。社会の構造が、人々をあの狭いブースに送り込むのだ。だからブースの中にいるのは、社会が構造的に生み出した個人である。ほかの誰かによって置き換え可能な労働によって収入を得る、匿名化された個人である。
小説や演劇においても、まんが喫茶は重要なトポスになっている。たとえばゼロ年代を代表する劇団と言ってよいチェルフィッチュは、2006年にまんが喫茶を舞台とする作品『エンジョイ』を発表した。もう若くはないアルバイトの店員が、店に入り込んでくる浮浪者を追い払うことができない。この浮浪者にどうしても自分の将来を重ねてしまうのだ。非正規雇用の問題はチェルフィッチュが一貫して扱い続けているテーマのひとつだが、まさにアルバイト帰りにこの作品を観に行った筆者に、未来についての想像力を書き換えるに足るするどいショックを与えた。
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