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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

戸田穣

とりあえず「ゼロ年代」、というよりも21世紀最初の10年は、20世紀の喪の期間にあてたような気がする。ジャン=リュック・ゴダール『二十一世紀の起源』(2000)を見ながら、あくまで「わたしにとっての」(pour moi)。わたしは人生の半分から3分の2ほどを21世紀に過ごすことになるのだろうが、わたしにとってこの世紀は前世紀ほど親しいものになるだろうか。

20世紀が映像の世紀だとして、映像の次の世紀を画するのが2005年のYouTubeなのかどうかは知らないが、ゼロ年代を代表する監督ならばジャ・ジャンクーを挙げたい。97年にデヴューした後、2000年から2年ごとに作品を発表しつづける70年生まれの監督のキャリアの大半は「ゼロ年代」に収まる。他の監督もいようが「ゼロ年代」というジャーナリスティックなテーマに即して、北京を。であるならば彼の一番とは言えないかもしれないが、ここでは『世界』(2004)を推そう。オリンピックを控え都市の相貌が日々変っていく北京。その郊外に実在する、世界のモニュメントのレプリカを集めたテーマパーク「世界公園」を舞台に、虚実混濁した空気が瀰漫しガスよりも重く都市の底に溜まっていく。

では、日本の都市は。となれば、映画よりもむしろ写真を。ホンマタカシ『東京郊外:TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版、1998)や『東京の子供』(リトルモア、2001)に写した「郊外」から、中野正貴『TOKYO NOBODY』(リトルモア、2001)にはじまる東京四部作、本城直季『small  planet』(リトルモア、2006)、佐藤信太郎『非常階段東京──TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎、2008)まで。あるいは畠山直哉『Underground』(メディアファクトリー、2000)の地下、内山英明『JAPAN UNDERGROUND』(アスペクト、2000-2008)の地下、新良太『Not Found』(エクスナレッジ、2003)の地下。

東京への、都市への、あるいは都市の識閾下への、時に深く時に浅い視線のさまざま。都市の断片を切り取るスナップ写真の移動する視線とは異なる、広角な、固定された、それぞれにテマティックな写真の一群。これらの厚み、それ自体に、ゼロ年代のわれわれの都市イメージが象徴されているように思える。

ジャ・ジャンクー『世界』/『東京郊外:TOKYO SUBURBIA』/『東京の子供』
『TOKYO NOBODY』/『small  planet』
『非常階段東京』/『Underground』

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