アートの現場から[2]
Dialogue:美術館建築研究[4]

Dialogue[1][2][3]
 
 奈良美智
 +
 青木淳                      
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●展示空間をめぐって——
使い方/作られ方

▲奈良美智氏アトリエ壁面
 

奈良──おっしゃる通りです。
青木──芦屋の美術館もあんなに丸いと困るでしょう。
奈良──頭の中が真っ白になりました(笑)。
青木──広島市現代美術館は?。
奈良──内装を何とかしたら悪い空間ではないんですけども、床とか壁の隅にちょっと装飾みたいのがあって、そういうディティールが空間を意識した展示に野次をいれてくるんで何かやりにくいんです。
青木──うん、うん。
奈良──それと展覧会場を移動する時に、階段とか廊下が非常に気持ちを持続させないんです。牛込の小学校のあの廊下は気持ちが持続できたんですけれどもね。
青木——横浜美術館も同じでしょう。奈良さんは型枠でつくった掘立小屋を置いちゃったから、なんとかなったようですけれど。正直、僕からでも、展示室は少なければ少ない方がいいって、建築家の多くが思っているように見える。展示室は何にもデザインできない、だから、展示室はなるべく押し込めて、ロビーとか繋ぎの空間で、面白いことをやろう、って感じ。そして、そういう場所を、要請もあるのだろうけれど、豪華に見せることに腐心する。広島は、床はどんな仕上げでしたっけ。
奈良──床がまた分かれているんですよ。木のところとか、絨毯のところとか。
青木──部屋によって?
奈良──そうです。
青木──やりにくい?
奈良──芦屋の美術館は横浜の展示コンセプト自体を再現するのが全く不可能な空間なんだけど、なんとか頭を空っぽにしてプランはできたんですね。けれども、広島市現代美術館は中途半端なんです。良いところもあるんですけど、その良いところをぶち壊す何かがまた別にある……。内装はもちろんだけど、可動壁。
青木──横浜も可動壁でしょう。
奈良──僕の展覧会では壁は全部新しく作ってもらいました。
青木──あ、もちろん。でも、可動壁を全部寄せておいて、それから独立壁をつくったわけでしょう。
奈良──ああ、そうなんですか。僕の中では可動壁という観念が全くなかったので、最初に横浜の図面とか模型を貸してもらった時も、最初から壁はつくるものだというのがあって。で、広島を見に行ったら可動壁というものがあって、これがすごい見本市的展示には合理的にできているという……。
青木──水戸芸術館のときは……。
奈良──あそこは良い空間ですね。
青木──そう言われると、自分のことのように嬉しい(笑)。
奈良──あそこは創れる。
青木──うん。あそこは可動壁が無いわけ。日本の美術館で可動壁が無いというのは、すごく珍しい。毎回、必要な壁をつくったり壊したりでは、設営費がなかなか出せないということもあるけども、要するに、あれが便利だという考えがあるらしいんですね。確かに部屋の形は変えられるけれど、どうやったって壁のところに隙間がでちゃう。それだけでもう駄目でしょう。美術館としては便利だけど、作家がなにかをつくる上では便利どころか、完璧に駄目。お金がどのくらいかかるか、の問題ではない。青森の美術館も可動壁なない。
奈良──いいことです。
青木──可動壁は美術館側から考えれば、合理的かもしれない。でも、美術館の空間がどういうものであったらいいか、それに一番関わっているのは作家の人たちですね。なのに、設計の間、作家の人たちと一緒に考えたりする機会って、ぜんぜんない。事務局の人、学芸の人、営繕の人。たしかに、学芸の人は、作家側に近いけれど、立場はやはり違うから、作家を完全には代弁できない。つくる人と話をするということが全然ないままに美術館ができてくる。
奈良──それと、美術館の人にしてもそうなんですけど、基本的に実際の建築物であれ、芸術作品であれ、つくっているところじゃなくてできたものだけを見て考えますよね。だから現場でどうこうっていうのが分からない。例えばコンピュータの中だったらどこをどうするかは簡単に出来るし直すことも可能です。でも、実際に美術館の中でそれをやろうとすると、最初つくったものを全部壊さなきゃいけない。その苦労や時間というのが現場を知らない人にはわからないと思う時がありますね。
青木──うん、実際に作るということを知らないし、その感覚がない人はつらいですね。
青木──奈良さんは、例えば今回のように新作だけで展覧会を構成するとき、どういった部屋にどう展示するかをどう決めていっているの?
奈良──大体大きさと量というか、この広さに対してこれぐらいの彫刻、この広さだったらこれぐらいの大きさの絵を何枚とか、内容じゃなくて、図形として当てはめていくんです。
青木──例えば図面と模型をもってきて、その上にスタディしてみるんですか?
奈良──そうです。作品たちのイメージ自体は最初からあっても、何をどれくらいのサイズで描くかは全然決まっていないんです。まず壁をつくって、空間を何となく分けて、これぐらいの空間だったら、丸いお皿の絵が何個、四角いやつはこれぐらいの大きさでこうだなと。
青木──彫刻のような三次元であったとした場合も?空間が先に決まって、そこから作品を発想すること?
奈良──横浜では空間を見て作品の大きさが決まっていきましたね。四角い正方形の天井の高い部屋ではとにかく視点を上に向けようと考えた。頭がたくさん重なって水が出ている作品も天井の高さと空間の広さから考えて、いろんな作品イメージのストックの中から、あれくらいの高さのものっていうのをつくったわけです。
青木──そうなんだ。
奈良──絵も同じです。三枚ぐらい描いて、それが全部右向きだったら、組み合わせた時に左向きもなきゃいけないかなといって描くわけです。色でも、青い服のが多くなったら、別の色にしてみたり。それらを図形としての四角いキャンバスに当てはめて、キャンバスサイズのバリエーションも決定させていくんです。
青木──じゃあ、会場が巡回なんかになると、次のところで困る。
奈良──そうなんです。だからいますごい困ってるんですよ(笑)。
青木──横浜では、型枠でつくった堀立小屋のあるロビーから次の展示室に入ると、横顔のセーラー服の大きい作品がちょうど正面にきて、左に回るとあの積んであるやつがありましたね。あっちも横に絵がありましたか。ああいうのは、空間から追って生まれてきているわけですね。
奈良──そうですね。だから芦屋はホント大変なんですよ。
青木──うん、わかる(笑)。基本的には会場が変わっても作品は同じなんですか?
奈良──一応同じなんですけれど。ただ、鏡を使った作品は芦屋では鏡を使わない展示にします。
青木──どうして?
奈良──四角い空間じゃないとこの鏡に映った中に部屋の透視図法的な線の延長が見えないんですよ。だから、あれは違う形にします。
青木──でもあそこは基本的にはセットですよね。あのぬいぐるみと鏡は対になっているわけでしょう。ちょっと分かれて見えるけど、実際にはあれで一つの作品じゃないの。そうすると、やっぱり他の場所に行って、それができなくなっちゃうと……。
奈良──ちょっと待ってください。
[奈良美智氏図面を取りに行く]                      

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