美術館建築をめぐって――(2)
Dialogue:美術館建築研究――1

Dialogue[2][3][4]
   磯崎新
 +
 青木淳                  
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ビルバオ・グッゲンハイム
――トーマス・クレンズの風呂敷

▲磯崎新氏
▼青木淳氏

ビルバオ・グッゲンハイム
http://www.guggenheim-bilbao.es/
idioma.htm
グッゲンハイム
http://www.guggenheim.org/

トーマス・クレンズ
http://www.roycecarlton.com/
speakers/krens_profile.html

 

青木――ところで、美術館というのは、いろいろな人が関わりながら運営されていく ものですから、どんな立場の人がどんな関わりをもつかで運営が変わってきます。日 本の公立美術館の場合は、館長がいて、役所側を代表する事務局長がいて、学芸員が いて、それ以外の人の関わりはあまりありませんね。その三者の関係で運営が決まっていく。そして、その結果を見ると、残念ながら、日本中の美術館がかなり似通った ことをしてしまう状況になっています。最初に美術館というものを成立させている構 造が決まってしまっていて、この三者の関係ではどうもその構造から逃れられない。本来は、館長が最も責任のある立場であるわけで、だから最も力があると思うのだけ ど、それはかなり微妙な立場であるようで、かならずしも、その力を行使できているわけではないようです。館長が強い決定権をもつことができれば、美術館の構造から変えることもできるように思うのですけれど。
磯崎――アメリカやヨーロッパの美術館の場合、まずそれをサポートする理事会があるわけですね。その主要メンバーが館長をバックアップして動いているというかたちです。何しろ館長は原則的にこの理事会が選ぶんだし、すべての活動報告はここにむ けていかなければならない。普通はトラスティがブレーキをかけることになるんだけ れども、最近アメリカなんかでは金がわりと余っているから動きやすくなっているようです。美術館の動きを見ていると、どうもこれまで議論してきたようなインスティテューションを覆すというほどのコンセプトがなくて、むしろアメリカの中でのある種の保守性みたいなものに美術館がまとめて戻ろうとしている。一時はフランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイムが成功したことで、旧来的な美術館のあり方や運営方法などが、すべてひっくり返ったんです。グッゲンハイムのトーマス・クレンズは大風呂敷を広げてガンガンやる館長(Director of Guggenheim MuseumsWorldwide)です。かつてはニューヨークの近代美術館の重要人物であり、かつ美術のことをよくわかっているはずの連中まで、あいつのやり方はむちゃくちゃだ、あれが成功したらもう美術館はたちゆかなくなるなんて言ってた。だから成功はさせまいというぐらいにブレーキをかけていた。もし、彼が失敗したら袋だたきっていう程度ではすまなかったでしょう。「鳥もちを身体につけて、それに鳥の羽をくっつける。そしてそれをじわりじわりと剥ぐ」という拷問があるんだそうですが、これが最高に痛いらしい。アメリカ特有の表現なのですが、たぶんあいつはその刑に遭うだろうとまで言われていたわけね。
青木――トーマス・クレンズは、どんな大風呂敷を広げたのですか?
磯崎――要するに美術館の機構改革をやったわけです。当時グッゲンハイムはお金がなくなって完全につぶれそうになっていた。そこで彼は、美術館のコレクションのいくつかを売ったんです。グッゲンハイムには多くの名品コレクションがあるけれど、実際はそのうちの5パーセントしか展示していない。時々入れ替えがあって展示するとしても、残りの95パーセントは倉庫に入りっぱなしである。シャガール、モンドリアンの作品といっても駄作は今まで展示したことはない。だから、それは売ればいいんだということで、何十億かで売っぱらったわけです。要するにバブルの時だから作家の名前で値が付いて、ものすごい金額で売れました。それまでは美術館はコレクションをストックして絶対に売らないというのが原則だった。これが絵の価値を保証するための唯一の根拠になっていたわけです。ところがコレクションを売っぱらうことで彼はそれを崩した。僕はそれが美術館関係者が怒った一番の理由だと思います。グッゲンハイムはこれで生き延びたんです。ついで、ビルバオ市にコレクションを貸すことにしました。その代わりに三十億ぐらいかな、前払いさせちゃったわけ。それで何とか館員の給料を払って――こういう綱渡りをして生き延びたと言われています。そして、美術館つくってボーンと逆転したんです。だからいまや、あのやり方しか美術館の生き延びる方法はない、グッゲンハイムを見習えとさえ言われていますトーマス・クレンズが出るまでは彼のようなやり方は叩かれ続けました。ニューヨークのエスタブリッシュメントたちの批判は大変なもので、石原慎太郎が文句言われる程度ではなく、本当にとことん言われる。メディアもどんどん書いている。それがいまやひっくり返った。


 

ビルバオ・グッゲンハイム
――フランク・ゲーリーの建築

ゲーリーヒル
http://www.e-architect.com/media/
releases/12%2D03%2D98a.asp


「中国5000年」展@Bilbao
http://www.guggenheim-bilbao.es/
ingles/exposiciones/
china/exposicion.htm


リチャード・セラ@Bilbao
http://www.guggenheim-bilbao.es/
ingles/exposiciones/
serra/exposicion.htm


MOCA
http://www.MOCA.org/

 

青木――危機一発ですね(笑)。ビルバオが成功しなかったら、もう駄目だった。たしかに、ゲーリーのグッゲンハイムには、ぼくは今年(2000年)初めて行ったのですが、観光バスが何台も着いて、まるでディズニーランドにやってきたような感じがありました。建物は、たまたまゲーリーのスタイルがビルバオの急に岩肌になってしまう風景と妙にマッチしていて、それだけでもいい美術館だと関心しました。もちろん、その空間構成だけを取り出せば、ロビーのまわりに展示室が放射状に伸びるという、すごくオーソドックスな美術館の形式であるわけですが、なにかいままでの美術館とは違う質をもっている。磯崎さんは、ビルバオ・グッゲンハイムをどう見ていますか?
磯崎――ニューヨークのグッゲンハイムで「中国5000年展」の展示計画をやったことがあります。これは、4900年までは普通の名品展なんですが、それから後の100年― ―実際は50年ぐらいかな――、中国が近代化した後というのはほとんど何もないんですね。最後は1980年で切ったため、最も新しいのは文革の時代のものです。文革の時代の絵をそんなに見ていたわけではなかったんですが、ダヴィッドの《ナポレオンの戴冠式》なんかよりいいんじゃないかと思われるような、すごい絵がたくさんあるんです。それで、SOHOで「中国5000年展」の残り100年をやるというのでブロードウェイに赤旗並べようって提案したら、これはさすがに断られてしまったけれども、再度ビルバオで提案したらOKがでた。市の道路から三列、五メートルぐらいの高さのパレードの赤旗をバーッと並べて、ゲーリーの建築を横切って川の中まで入っていくというインスタレーションにした。どうやって立てるかとか、ディテールはと言うので、美術館の床を掘るわけにはいかないから、傷つけないように鉛の重石で旗を立てましょうと提案して、本当にやってしまった(笑)。そののちにその展覧会も含めたインタビューを受け――僕はすっかり忘れていたんだけれど――ゲーリーから「アメリカン・コロニアリズムの象徴のようなプア・ディテールのこの建物が、ここでこれだけ評判になって……」ってしゃべっただろうと手紙がきた(笑)。こっちは全然おぼえてないわけですが、「いや、そうじゃないんだ、この建築は要するにカードボード・アーキテクチャーだ。それはアメリカには1950年代のミースなんかがやったようないい建物ができる条件がなくなった。したがって建築にはもうコンセプトしかない――建築にはマテリアリティはないんだということを表現したコンセプトだ――そう言いたかったんだ」と言いわけせざるをえない。
つまり、1960年代のベトナム戦争、70年代のオイル・ショックの世界全面不況のなかで、アメリカで建築物をきっちり制作する社会的基盤が失われてきた。カードボード・アーキテクチャーの場合は、建築とは空間のスケールモデルであって、素材感や収まりなんか言う必要はない。プアな素材をプアに収めても、コンセプトがみえればいいじゃないか。要するにミースの対極みたいなものができた。これがアメリカの建築なんだと僕はほめたんだよって。20世紀の最後は精密にクラフトされた完璧な素材の完璧な建築物っていうのは、もう誰も見向きもしなくなる。一番ボロな安物のディテール、だけどそれがなにがしかの魅力が出てくる。これしか残らない。それがビルバオで見えて、ゲーリーは「あれは魚の鱗だ」と言ってるけど、自分では決していいとは思っていなかった(笑)。彼はいま、コストがオーバーしてできなかったディズニー・ホールを改めて設計し直してつくっているけれども、今度は日本の製鉄会社の、ステンレスのピタッとした完璧なディテールを研究しています。要するにプアなディテールからリッチなディテールに変えようとしているわけ。僕はビルバオを建築の途中で見てオープニングには行けなかった。勿論それから何度か足を運んでいますが、あのいちばんでかい展示室では、リチャード・セラの何十トンかの作品が置いてあって動かない。たぶん動かしたら建物が壊れるだろうというようなことになっている。セラは「ビルバオは10年しかもたないが、俺のはもっともつ」って言ってるわけ
です(笑)。
青木――展示されているもののほうがずっとちゃんとしているというわけですね(笑)。
磯崎――そう、あの作品のほうが建物より長持ちすると。だから、ある意味であの建物はエフェメナルなんです。デザインもエフェメナルだけど存在もエフェメナルかもしれない。だけど、大概そういうものですよ。
青木――そしてそれが、つまりアメリカ本来の伝統である。
磯崎――僕から言わせればアメリカのニュー・トラディション。
青木――それがアメリカのなかではなくて、アメリカの外で成功した。ようやくアメリカの伝統がそこまで完成形に到達した。
磯崎――そうですね。ビルバオはアート・ギャラリーとして成功し、キャナル・シティはコマーシャルで成功した。どっちもロサンゼルスをベースにした建築家の仕事です。要するに伝統というものはない。ものよりもステージセットのほうがリアリティがあるとされているような場所でできあがってきたものですから、大げさに言うと実物は10年もてばいいのかもしれない。例えば、もうMoCAの本体は15年たっている。だけどテンポラリー・コンテンポラリーはその間に二度改造しています。だから20世紀建築の最後というのは、この二つが象徴していると思う。これはクラフトの伝統のある日本にとっては大変厳しい評価基準なわけですよ。だれもそこまで踏ん切りがつかないから。
青木――物質的次元の水準は問わない。やりたいことさえ伝わればいい。メディアと しての建築、あるいは、物としてはどうしようもない建物。


 

反復される解体のプロセス
――対極的なものの出現

 

磯崎――そう。粗大ゴミに接近しているんですね。今日は悪いことばっかり言ってるな(笑)。もしかしたら、エフェメラルな建築物でしかないというようなこととかライト・コンストランクションなどと同様、90年代以降の美術の流れとパラレルなのかもしれないですね。まぁ、かっこいいこと言ったって、現実にはすぐに壊れそうでしょう。要するにインスタレーションの彫刻作品がでかくなってなかにエアコンがはいっている。撮った写真しか残らない。そういった体のものになって、物質性がドンドンなくなる。だけど、僕の歴史の上での経験から言うと、事態がそういうふうに起こったときには必ず反対のコンセプトが出る。それはどういうかたちで出てくるかはまだ見当ついてないけれど、今まであったものとはちょっと違うと思います。でも、必ず起こる。僕が1968年に『建築の解体』を書いた頃は、あらゆる既成概念や価値基準が壊滅状態になった。そして一瞬の静寂みたいな時間が70年代の最初の2、3年にあった。その中から出てきたことのひとつは――もちろん伏流としてはそれ以前にあっんだけれど――アルド・ロッシなんかのコンテクスチュアリズムです。これは、伝統的に存在している都市のコンテクストや歴史のコンテクスト、文化のコンテクスト、要するに、全部建築外にあるものとつなごうという理屈ですね。これに対してアイゼンマンや僕のフォルマリズムは対極にありました。まったく空白の状態を“「主題の不在」という主題”と僕は定義しましたが、そのとき建築が自ら対外的な作用のできる意味を生産できると考えていたことが疑わしくなった。むしろ受け身にまわる。そこで、外部のコンテクストに接続するような扱いをはじめる。それにたいして、自閉して、自らの内部のみの形式性を追求する。「自立性」とか「自律性」とか言われました。自立した建築の仕組みっていうのは、自分自身がもっている形式性の自動展開でしかない。手法論と言ったのは、一種のフォルマリズムへつなごうとしたわけですね。それは自律性のほうからきているんですね。つまり、片一方は都市、あるいは歴史に広げていこうっていうコンテクスト重視の動きがあった。二つは対極的で内に向かうのと外に向かうのと両方が出ちゃうんですよ。それは事態が限界状態に行き着いたあげくに起こる現象なんですね。
現在の状況は、ちょうど解体のプロセスを反復していると思うんです。そのうちのひとつがエフェメラルであり、ライト・コンストラクションやカードボード・アーキテクチャーです。そういうのが一方の側にあった場合、つまりそれは何もないということと同じなわけです。そうすると、対極的なものが出現するはずです。その出現の測定については僕はもう責任をもたないでよかろうと思っていますが(笑)。違う対立概念が別のフェイズで出てくるに違いない。そのときに拒否できなくなってくるのは、歴史というような時間に引っかけた発想は、古いとか新しいとかではなく、何か出現するでしょう。歴史ないし時間というものに関わるコンセプト。70年のときにはコンテクスチュアリズムだった。今回はもうそれは使えないから別なものでしょう。そうすると今度逆に時間を拒否している、「今・ここ」みたいな存在論的なものがもしあったとしたら、そっち側っていうのは裏、表ですから、向こうがやるならこっちだってという感じで見えてくることは必ずあると思うんです。建築で今、この数年で何かできたかというと、何もないでしょ。


 

反復される始まり
――「間―20年後の帰還」展と3人の作家

 

青木――そうですね。基本的にはエフェメラルの反復ばかりが目立っていますね。た だ、今日のこの美術館というテーマから離れてしまいますが、建築をつくるということ、設計をするということが何かっていうことがずいぶん変わってきたと思うんです。それは、つくるということが、自分の中にあることを表現することではなくて、現にそこにあるものを変えることだという考えですね。これはファッションでも言えることだと思うのですが、たとえばこの夏、イッセイミヤケの展覧会が東京都現代美術館でやっていましたが、すごく爽かな気持ちがしたんです。衣服は一枚の布からできているという根元的なところに戻って衣服を再構成しようとする。それは、自分がすでにそこにいないある懐かしい姿勢のようにも思われました。むしろ、ベルギーのデザイナー、マルタン・マルジェラなどは、基本的に服の概念を変えないで、服がもっている歴史的としか言いようのない形式の上で、それを前提としてそれに乗りながら内側からそれを捩じ曲げてしまっている。これは、エフェメラルというある種の非歴史性と対極にある。というか、歴史に乗る乗らないということ自体が問題にならない別の時間を感じさせる「変え方」だと思います。三宅一生の場合は、白紙に戻ってつくれる、新しいものがつくれるっていう、あるオーソドックスな時間感覚がある感じがしたんです。
磯崎――それはその通りだと思う。実は今日、芸大でやってる「間―20年後の帰還」展 の解説をNHKの「日曜美術館」でやってきました。テレビにでるのは嫌なんですが、広報のためと言われると断われない。恥をしのんで立たざるをえない。三宅一生と倉俣史朗と宮脇愛子の「うつろひ」を、なんで同じ部屋においているかを説明をしたわけです。それは結局、空洞に戻るというか、空洞だからなんです。三宅一生の場合は一枚の布を身体に巻き付けるとき身体をくるむわけですが、日本の昔の衣服はくるむとき縫うでしょう。そうすると完全に袋状になる。それに手足と頭の五つ分穴を開けて着ていた。だけど穴を開けない――つまり袋のまんまのものがあって、これを「うつはた」と呼んでいた。「うつはた」というのは空洞の衣服のことで、これが一 番神聖な着物になっている。三宅一生の最新作は、蚕が自分のまわりに繭をつくるのと同じことをコンピュータ・プロセスでやっているから縫製がなくて。出てきたものをハサミで裁ると、そのまま着ることができるという仕組みなんですね。僕はこれは新しいということはあるかもしれないけど、意外に日本のコンセプトに戻ったという感じを受けました。倉俣史朗の後期のものは、ガラスであったりネットであったりして透明なんです。その中にバラの花を入れたり空気を入れたりする空洞のものがあった。この仕事も、本来日本では中が密実な柱より空洞の柱のほうが尊重されていたわけで、そのコンセプトに近い。宮脇愛子の「うつろひ」も「うつろ」なものの中に霊(ひ)が突如充満する――霊(ひ)というのはスピリットです――その瞬間を見つけることですから、これも同じです。だから三者は同じ部屋においてあると説明しました。このジェネレーションに共通しているのは、空白の一点、タブラ・ラサのそのままの状態からものごとが発生するけど、何故かそこにもどっていくことです。タブラ・ラサの状態からあらわれてくるもの、あるいは外から吸引するもの、それらからものをつくり始めていることですね。僕はそれをそのまま日本の「産霊(むすび)の神」――産霊(むすび)の「び」というのは霊、「むす」というのは産です――つまり、生成するスピリットみたいなもののその振る舞い方に合わせて全部説明できると考えました。決定的な拒否はだいたい始まりを反復している。つまり始まりから始めるということは、かつてあった始まりの反復に過ぎない。そういう意味でみんな似ている。90年代で特徴的なのは美術でも何でもサンプリングでしょう。要するにそれは外にあるもので、自分が選んだのではなくて誰かが寄せ集めてきたものです。だいたい90年代の現代作家――美術家、小説家、建築家、メディア作家――たちはそこからスタートしたということは言えますね。だから共通性がとってもあると思います。
青木――サンプリングとは、外に現にある物に向かうこと、逆にそのことにおいてしか自分というものを定義できない、という意識から出てくるものだとぼくは思います。だから、それは20年前の「間」の時代において、その対極であったはずの、たとえばチャンス・オペレーションとはやはりちがうことになっている。外に現にある物に向かうことと、自分というものの放棄とが、昔のように表と裏の関係にないのではないかと思うのです。だから、サンプリングの対極が、自分が含まれている時間をいにしえまで遡及することであるというふうに、簡単に割り切れるのかどうか。たとえば、ぼくは、自分が結果としてウィルスのような存在として、とりあえずの外部に関われたらいいなと思っています。最初の段階では、自分はいない。自分のなかにはなにかを生み出すべき素材もなければ、自分だけでなにかを発動させることもできない。でも、自分の外のそこになにかがある。それに触れ、その中に入る。そうすることで、なにかが起こる。そして、振り返ってみてはじめて、それを起こしたプログラムが特定でき、それが自分なんだ、という感じがする。そういう意味での、自分というものの捉え方が特徴になっているのだと思うのです。


 

●切断すること、決定すること
――コンピュータと建築家

ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展
http://194.185.28.38/it/archi.html

グレック・リン
http://www.glform.com/

 

磯崎――たしかにね。60年代に出発したアーティストはジャンクを寄せ集めたり、表現の引用をしたりしましたが、これはみずからの構想を補強するもので、作家の主体を解体することには及んでいない。主体を消し去るという理論はあったし、それをのぞんではいたけど署名性から逃れることはできなかった。そこが90年代に自立した人たちとの大きい相違だろうとは思います。今年(2000年)のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展のアメリカ館に、ハニ・ラシッドとグレック・リンが参加していて、この二人が両側でワークショップをやっている。彼らは、コンピュータを使ってできた様々な形態をジェネレートしたものをみせている。そこではある種のパラドクスが起きます。つまり、最終的な形態はどうやって決めるのかということです。これまではしょうがないからボタンをパッと押してフリーズさせ、その状態をかたちだと言ってきた。僕がプロセス・プランニングで切断と言ったのはそういうことで、単純に延々と変化する形態はイメージできた。当時は頭の中にしかなかったけれど、いまはコンピュータの中で目で見ることができる。だけど、それを具体化するには一瞬にフリーズさせてコンベンショナルな図面に置き換えなければいけない。そのコンベンショナルな図面がやっとコンベンショナルなテクニックで実現するというわけですね。建築にかたちが可能になるにはそれなりのプロセスが必要です。フリーズするには、コンピ ュータのボタンを押さなければならないから、そこには建築家がいるんじゃないか。つまり、切断したらそれが建築家です。それで彼らに切断をする主体が建築家ですよと言ったんです。僕はそれでやってきたんです。先ほど言ったように、自分でものをつくるからにはあらゆるところで切断、決定を積み重ねていない限りことは動かない。もちろん彼らはこのことをわかっているけれども、主体が出てくるようなメソッドは古いよという理屈もまたもっている。でも、笑ってしまうのは、彼らは100違ったかたちができる、そうしたらそのかたちを全部つくってカタログにしてマーケットに出せば自動的に選択されるだろうというんです。要するに決定をマーケットに預けたわけ。そうすることで自分は手を汚していないというロジックでやってる。そういう説明をするから、「なんだ建て売り住宅と一緒じゃないか」と(笑)。建て売り住宅っていうのはオプションがあって、オプションをユーザーの要望に基づいて組み合わせてつくっているんだから、ロジックはやっぱりユーザーに預けているわけです。それと同じことをやろうとしている。考えてみたらいまの資本主義のメカニズムの中で主体を消そうと思えばマーケットに依存する以外しょうがないじゃないか。彼らのはそういう理屈になってしまうんです。
青木――そうなってしまえば、現代のシステムの反映ということに過ぎませんね。ただ、磯崎さんのプロセス・プランニングにおける切断はちょっと違う意味だと思うんです。つまり、そこにあったのはモデリングの問題だったはずです。もしモデルが最初から決定されているものだとすれば――グレック・リンたちのはそういう種類のものに見えますが――、それは終局のかたちが先に見えているということもできるわけです。どんなに終局のヴァリエーションが増えようと、やはりそれはあらかじめ決定されているモデリングの枠組みのなかにある。ですが、磯崎さんのプロセス・プランニング論は、どうもそういうものではなく、個々の要素の生成がモデリングを絶え間なく揺さぶり変質させているイメージでした。だから、どの切断もひとつのヴァリエーションというよりは、本当に流れている時間におけるその根底にあるモデリングの思いがけないある一瞬だったのではないでしょうか。つまり、それは、それまでのツリー状にしか構想できない計画というかデザインというか、そういうツリー状の構造から逃れることにウェイトが置かれていた。そういうふうに、あらかじめ主体の問題が入り込むことを避けていたわけだし、だからつねに物質的な次元での到達をもちながらも、最終像をもちえず、逆にそれゆえに「かたちの問題」に収束しなかった。
磯崎――それだけのファクターは予想として入っていたとは思います。幸いに日本では建築家は実施設計から監理まで全部こちらでやらなければならないけれども、アメリカの場合は実施設計は別の事務所に頼むわけですね。だから、デザインをコンピュータでやっているグレック・リンにはそこから先がない。データを渡すと設計事務所は順々にやっていくだけですから、実際にものはできる。けれどもそれはだれだってできるごく普通の建物になるだけで、つまり、コンピュータを使わなくてもいいということにもなる。最近脳腫瘍で死んだエンリック・ミラーレスは――彼はジェネレーションとしては比較的若いほうですが――コンピュータよりは俺の手のほうがまだうまいとはっきり言ってましたね。俺はコンピュータはいらないって。これはひとつの見識で、自信ももちろんあるし、事実それだけのドローイングの能力も彼はもっていました。ミラーレスのように言える建築家はそうはいないから、彼が亡くなったのは本当に残念です。あるものの考え方の限界が見えるはずだったのが見えなくなってしまったわけですから。
青木――コンピュータを使うから自由なかたちがつくれるわけではない(笑)。


 

プログラミング
モデリング
マテリアライズ

 

磯崎――これは、コンピュータを使うイメージの問題ですよね。先ほど言ったように建築はマテリアライズしなければいけない。マテリアライズする場合普通コンピュータでは200分の1とかいうふうにやるけれども、その図面はひとつボタン押すと20分の1にもなるものですね。普通だとメタルを使うとか、レンガを使うとかいったコンセプトがあるわけで、200分の1の図面にはまだそれは入っていない。でも、かつては20分の1の矩計描くときに材料を頭に入れずに描くなんてことはあり得なかった。ここにはレンガが貼ってあって、あるいは鉄骨はこうなってとかいうのは頭に入れながら描くわけです。だけど今はオートマティックにボーンと20分の1になるわけだから、ツルンッとしちゃって何もない。フィードバックされていないから、不思議なディテールになってしまうわけよ。
青木――磯崎さんのご自身のお話ですか(笑)?
磯崎――いや、世の中一般の話です。なんでかって言ったら、仕事場で図面を見るときはそこだけで見ているわけです。それだけのチェックが入った図面になったかどうかね。一般的にはものすごく早く図面ができてくるから、ものの重さや肌触りなんか考えている暇はないわけですよ。だからみんなトリックにかかる傾向があります。プランニングすることというのは僕なりの解釈ではいつも空間体験していること、五感で知覚していることを考えることだと思うんです。でも、そういうことさえしなくなっているでしょう。遠くにある絵をエレベーションのように、平面でも立体でもないかのように扱っている。建築には時間というファクターが入っているはずなのに三次元もファクターもなくて、ただの平面がいつの間にか具体化している。そういう事態がどうも起こっているでしょう。
青木――そうですね。一般的につくられていく手続きに興味はあるけれども、そのときにできているものへの興味がだんだん減っているようですね。ぼくにしても、磯崎さんのところにいたときよりも事務所の中でますます物質的思考をしないとしょうがなくなっているんですよ。つまり原寸で描くというような(笑)。
磯崎――気をつけてないと危ないよ(笑)。
青木――とにかく何か考えるときは原寸でやってほしいと。コンピュータを使って も、原寸で描かなければダメだよと。何かすごく昔の……(笑)。
磯崎――建築をつくるという職業はだいたいプリミティブなんです。でもまたプリミティブなレベルだけでやったってしょうがない。その対極までやる往復運動でしょう。ただそれをやっている暇がないのがおそらく今の問題だと思います。
青木――先ほどおっしゃったコンピュータ上でモデリングするときは、かたちを定義しておいてその上にパターンを貼るわけですよね。それ自体が普通のもののあり方と違うから、それがおもしろいっていう人はずいぶんと多いです。
磯崎――平面レベルではとてもおもしろいけれど、できあがってみるとそこらの看板建築と同じっていうことになる。それはそれで1回1回はいいんだけどね。
青木――コンピュータで、例えば立方体をつくる、球をつくる、あるかたちを回転させる、穴を開ける……そういうモデリングの種類は大した数はないわけです。そういうときに、ではその有限なモデリング・ツールの上でかたちをつくることがかたちをつくることのなのか、それともそのモデリング・ツールそのものを開発することがかたちをつくることなのか。大きく言えば、そういう二つの道があって、ぼくは前者の考え方はわかることはわかるけれど、やはり心情的には後者に近いわけです。磯崎さんの世代からすればモデリングの方法を変えなければ意味がないでしょう?
磯崎――そう。自分でプログラムをつくらなければ意味がない。月尾嘉男さんがうちの事務所にいたころはプログラムばかり書いていたわけです。あの頃は買ってくるようなプログラムなかったから、コンピュータを使うということは自分でプログラムを書くということだったんです。
青木――しかし、今はもうプログラムをつくることはほとんどない。いろいろな作業の単位に分解され、その作業単位ひとつずつがディベロッパーズ・キットに入っている。その一つひとつのプログラムがすでにかなり高度であるだけでなく、次から次へとキットが更新されている。だから、プログラムをつくるなんてことはもってのほかで、その更新についていけるかどうか、それすら怪しくなっている。


 

●差異の圧縮と変容する時空概念
――「間」/スーパーフラット/
身体

スーパーフラット
http://www.hiropon-factory.com/
webmaga/tokusyu/sf/index.html

アマゾン・ドット・コム
http://www.amazon.com/

村上隆
http://www.hiropon-factory.com/
profilenew/murakami/index.html

 

磯崎――それはかなり大きな問題として浮上していると思います。もののできあがる 時間がドンドン短縮しているでしよう。たとえばこれまでは中規模の開発計画では、 イニシャルに一定の金額を投資して計画が運営された場合、10年で償却とか20年で償 却とかあるいは30年ぐらいかかってお金を回収していたわけですよ。しかし、いまの ウォール街のお金の流れ方は、30年たって元が取れるようなお金があったら賭けに使 ったほうがよっぽど早いという事態でしょう。連中にとってすれば効率が悪いわけだ からね。その効率の悪さを背負っているのが建築という職業なんですね。無理して設 計も建設工事もスピードを上げたとして、それでも3〜4年はかかってしまうし、それ から償却するのも同じ時間かかる。日本のバブルというのは、30年たったら戻ってくる はずのものに集中的に投資したにもかかわらず、10年でガタがきてしまい、残り20年 分のお金が不良資産になってしまったわけですね。その構造はわれわれの職業からい うと避けられない事態だと思います。
青木――とはいえ、それでもリアル・タイムという事態は全くやってこない。たしか にコンピュータはどんどん時間を短縮している。でもだからと言って、時間差がゼロ になることは全然なくて、逆に圧縮されたごく短い時間がその分だけ大きな価値を生 む可能性をもつようになっている。たとえばインターネット書店のアマゾン・ドット ・コムは、お金が本当に動くスピード以上で投資を続けていかなくてはならなくなっ ている。それは時間だけでなく、空間も同じことで、空間の物理的差が減れば減るほ ど、捏造であってもその差を強調しなければならなくなっている。こういう時間や空 間を前提にすれば、たしかに建築は最も不利な時間と空間を生きているわけですね。 でも、ぼくは、そういう時間や空間の変化を押し留められることができるとまでは思 わないけれど、それに抵抗したいですね。少なくとも、その最後の抵抗として建築を 考えたほうが、むしろ健全なのではないかと思っています。そのためには、そういう 時間や空間とは異なるもうひとつの概念が必要になってしまうわけですが。
磯崎――それを引っかけるために、「間」展を引っぱり出したんです。「時間と空 間」と言わずに、全部「間」と言ってしまう。間には差がない。でも時間的なもの、 空間的なものが全部入っちゃう。それでいく以外仕方がないんではないか。
青木――「間」ですか。そうしますと、先ほど商品としてのアートというのはもうダメで、それが第三世代の美術館を考えるときのきっかけになるのではないか、という話を伺ったのですが、現在の時間と空間が基本的には経済的な時間であり空間であるわけなので、「間」はそうした経済的時間や経済的空間とは別の概念を提出するということなのでしょうか。たしかに、磯崎さんが「海市」で言われているように、フロンティアがなくなったとすれば、ある意味で経済的概念は崩壊してしまっているのかもしれませんけれど。
磯崎――それはぐるっと一回りしちゃったからね。
青木――一回りしちゃって、閉じて、有限になっている。
磯崎――ちかごろ「スーパーフラット」って、はやっているでしょう。これを僕なりに解釈すれば、いま言ったような時空の差をぎりぎり縮めていったらもう何も差異がなくなった状態が作品として、コンセプトとして成立しているということを言おうとしているのではないかと思う。
青木――そうですか。でも、そうやって差を縮めていけばリアルタイムにならないっていうのが本当なんではないですか。フラットになりえないというか。縮めていくほどフラットに見えるんだけど、でもフラットになりえない。


 
●美術館を再定義する

田中純『都市表象分析I』の書評
.
../feature/feature.html#3

MOCA-LA
http://www.MOCA-LA.org/
mocamain.htm


Any
http://www.anycorp.com/

ニュー・テート
http://www.tate.org.uk/modern/
default.htm


Century City: Art and Culture in the
Modern Metropolis

http://www.tate.org.uk/modern/
exhibitions/centuryc.htm

 

磯崎――それは彼らの仕事を見ればその通りだと思う(笑)。そういうふうになっる。コンセプチュアルには差異も一切なくしてしまった時代をねらってる、あるいはそれを表現のひとつにしようとしている。今度村上隆はMoCAのブランチに日本でやっていた展覧会をもっていくようですが、結構受けてはいるみたいです。そのときにひどくもてあますのが建築なんですよ。僕は田中純『都市表象分析I』の書評でも言ったけれど、身体をどう見るのかと。身体概念というのがロジック全体の構造の中にどう入れられるか、その位置づけができたものは、ヴァーチュアルがどうのこうの言っているヤツよりも、リアリティをもつはずです。なぜなら僕らの身体を消すわけにはいかない。頭の中ではいくらでも膨らむんですけど、身体はすごく不自由なんですね。この不自由さを最低限拒否できないとするなら、これを取り込む以外に方法がない。身体的知覚なのか、触覚なのか、内触覚なのか、いろいろ理屈はあるかもしれないけど、身体論のようなものの在処がある意味で今までの全部の建築論を補完する、そういった視点として見えてこないかな、と考えながら読んでみたって言ったら、彼は「いや、書いてありますよ」って言う(笑)。
青木――先ほどの時間とか空間は、身体と関係があると。
磯崎――僕はあると思いますね。
青木――たしかに、身体においては「今・ここ」にいるという表現しかできないですね。
磯崎――「今・ここ」と知覚する身体、それが現象学的な思考と存在の原点みたいなものですね。これが1920年代に新しい概念として、カント批判として出現したのは僕らも知っている。しかもハイデガーが評価される理由はそこにある。それはできているけれど、決定的な結論に到達せずに、つねに分裂した議論でしかなかった。これがこのあいだのAny会議の結論でもあるんです。我田引水になりますけども、今度の「間」展を見ていただくとわかるように、僕は影
ということだけを取りあげようとしているんです。影というのはさきほど言った霊(ひ)すなわちスピリッツを形象化したものです。日本では影なんですよ。影というのは本来ならば実物にくっついているもの、あるいはどこかに映っているものですから実体にその違いがある。あるものの像(イマージュ)を考えようとしたときに、実像と虚像、実体と影というような、その像がつねに分裂しているということを言ってもいるわけです。僕なりに解釈すると、その分裂をずっと考えているのがヨーロッパの形而上学です。なぜヨーロッパでパースペクティブが尊重されるのかというと、この間をかけわたすことができるとみえたためでしょう。これが透視図法だった。そういう見方がある程度の共通認識としてある。これもイマージュの分裂がアクチュアルとヴァーチュアルの二つの像に分裂するという議論につながっているわけですが、考えてみたら大したことないではないか。日本には影というのがあったんですよ。影の振る舞いっていうのが。さきほどので言うと「うつ」の中身というのは影の振る舞いなんです。これは「間」展のカタログではほんの少ししか書いていません。まだ思いつきレベルですからいっぺん整理しないといけない。美術館に戻れば、美術館というのは言語であったり論理であったり、視覚的な表現であったり、つくられたものであったり、ありとあらゆる人間がつくりだしてきたブツをもう一度使って世の中を組み立て直しているのが美術の展覧会なのだと再定義してみる。美術館が将来作動するならば本でもあるし、プログラムでもあるし、作曲しスコアでもあるし、建築物でもある。それら全部を容れたものがどこかにないといけない。希望的に言えばそれは美術館かもしれない。実際に今度、ニュー・テートで世界のメトポリスを10年単位でピックアップして組む(Century City: Art andCulture in the Modern Metropolis)というのがあるらしいんですが、70年前後を東京に当てていて、東京にはちゃんとした建築ができていないから僕の『建築の解体』が展示物になるみたいです。要するに展覧会は本でもよい。だからなんだって展覧会
にできるし、美術館は展示のコンセプトさえあれば……。
青木――美術というものがあっての美術館ではなくて、人間がつくったものすべてをひっくるめて配置する機能としての美術館というわけですか。
磯崎――僕は美術館が生き延びるとしたら、そんな具合にもっていけば生き延びられるとは思います。でも、そのときはもうアートではないのかもしれないですね。〈了〉[2000年10月23日磯崎アトリエにて]