美術館建築をめぐって(1)
Dialogue:美術館建築研究――1

Dialogue [2][3][4]
   磯崎新
 +
 青木淳                 
美術館建築をめぐって(2)へ→

 
▲磯崎新氏
▼青木淳氏
 

青木――この「現代美術館研究」は、現在、美術館というものが置かれている位置、そして、これからどんな美術館を構想できるのか、そんなことを考えてみようと思って企画したシリーズです。美術館というのは、ひとつのインスティテューションであるわけで、つまり美術館の内側からその内容が決まっていると同時に、それをとりまく外部からも内容が規定されています。ですから、まずそのインスティテューションのあり方を見ることが重要だと思います。磯崎さんは、かつて、美術館を第1、第2、第3と3つの世代に分けて述べられたことがありましたが、それはまさに美術館をそうしたインスティテューションとして見ることから生まれた構想だったと思います。ちょうど「奈義町立現代美術館」をつくられたときですから、いまから5年ほど前のことでしょうか。第1世代美術館は、略奪してきた物品を陳列閲覧するものであり、第2世代美術館は持ち運び可能でそれゆえ商品化された「美術品」を権威づけるものであり、資本主義が基底をしめた20世紀を象徴するひとつのインスティテューションだったというわけですね。そして、それに対して、持ち運びできない美術に対応する第3世代美術館を磯崎さんは提案されました。それはまた、もうひとつ20世紀の美術のなかにあったサイトスペシフィックという流れを見据えたものでもあったのだと思います。ぼくは、その考えに共感を覚えつつも、しかしそのための美術館として「奈義町立現代美術館」がとどめをさすのかどうか、疑問がないでもありません。でも、ともかく、それから5年の月日が経っている今、いちばんお聞きしたいのは、今現在における磯崎さんの美術館についてのお考えです。この10年間を振り返っても、美術館の活動は現実にずいぶん変化してきたはずですから。磯崎さんそうした最近の流れをどのように見ていらっしゃいますか?


 

問われる美術の価値基準

 

磯崎――美術・建築以外の人の関心の有り様を聞いてると、なぜこのごろキュレーター主導の展覧会が増えたのかということですね。日本ではキュレーター主導の展覧会はそうなくて、おそらく走りは長谷川祐子が1993年に水戸でやった〈アナザー・ワールド〉という展覧会でしょう。これがこの手の始まりであろうと思います。国際的にはポンピドーが80年代の終わりに〈大地の魔術師=マドゥシャン・ドゥ・テール〉という展覧会をやります。それは、世界中から呪術的、魔術的なものを集めた展覧会です。そこで起こったことは、アートとしてこれまで評価されている良いとか悪いとかいう、美術の価値基準が問われていることです。
アート作品なのか呪物なのか、あるいは魔術で使っているコンセプトをアートも使っているじゃないかというように、わけが分からなくなってしまった。最近では椹木野衣が同じ水戸芸術館でオルガナイズした〈日本零年〉(1999)もそうでしょう。文化人類学的、イマージュ論的のみならず、ハイ/ロウ、サブカルチャーなどへの主題の拡張がみられるし、近代美術の正統をかたちづくってきたものをくつがえしてしまうような、歴史の読み替えさえ起こりはじめていますね。
また、僕の知ってる限り90年代は、ビエンナーレ、トリエンナーレ、あるいは他の様々な企画展を問わず、だいたいにすべてキュレーターがテーマを掲げて展覧会が組まれた。展覧会のタイトルにしても、抽象とか具象とか――ポップ・アート、ミニマル・アート、トランス・アヴァンギャルドでも――そういうくくりではなくて違うものになってきている。大げさに言えば、非芸術的あるいは文化人類学的な素材みたいなものが、そのまま作品の、つまり現代美術の作家の作品と並列させてあるわけですね。これはわりと流行っていますでしょう。そしてこれが美術館展示にも影響し始めていて、例えば今度できたロンドンのニュー・テートでモネの睡蓮の絵とリチャード・ロングの石を並べる作品が一緒に置いてあったりして、自然と人間とかっていうタイトルになっている。それはみんなテート・ギャラリーのコレクションなんですけども、その置き方が、これは彫刻、これは絵画、これはビデオ作品というようなもの、あるいは、年代的に19世紀、20世紀といったこれまでの既成の領域での分類法にも基づかない、別のカテゴリーやコンテクストを組み立てて展覧会を構成するようになっている。いわばキュレーターのシナリオ次第で決まるような展覧会が増えてきているわけですね。


 

アメリカからヨーロッパへ
――現代美術の地勢学

 

現代美術ではアメリカが60年代以降世界制覇してきた。これは誰もが認めるところです。そこで言われていることはだいたい何年間かに1度新しいスタイルがうまれるということです。抽象表現、ネオ・ダダ、ポップ・アート、ミニマル、コンセプチュアル、ランド・アート、トランス・アヴァンギャルドだっていうような、スタイルの変遷が次から次へとあるというわけですね。
これを建築界で見ればレイト・モダン、ポスト・モダン、デコン、ネオ・モダン、ミニマル、ハイテク、バイオ・モルフというような様式の流れのくくり方とだいたい同じでしょう。美術界・建築界のこのくくり方は、アメリカ、それもニューヨークの流れの引き写しで全部割り切って作られていった。それに対する批判というか、その構図に対する問題提起というのがこの12〜3年前から起こり始めているのではないか。あるいは大きな問題として取りあげられていると思う。
いまわれわれが美術評論などを通して理解しているのは、たとえばアメリカで重要だといわれているグリーンバーグの抽象表現主義論を通じて作ったモダニズムの定義とそれに応じる様々な作品の系列を頭に入れて、たとえばロザリンド・クラウスはランド・アートでもアートであるという説明で、その系列の上に置き加えていくわけです。つまりアメリカの現代美術の伝統的な系列が作られた。しかし、そうしたことも含めて、これをひっくり返す方法はないかということをヨーロッパの連中は考えていた。それが90年代のヨーロッパのビエンナーレをはじめとする、美術展・建築展に起きた一種のテーマ主義的な展覧会の現象だと思うんです。
アメリカで一番分かりやすい展覧会は例えば、ピカソだったりマチスとかブランクーシです。デュシャンはアメリカでは嫌われているのであまり大きく取りあげられない。日本的な「もの派」風のものもアメリカにもいろいろあるといったりします。こうした展覧会の時、これは彫刻展とかポップ・アート展とかでくくってしまえば理解しやすい。先ほどのテーマをもった横断されたような展覧会になってしまうとごっちゃになってしまうんですね。そうすると、作家たちはみんな怒り狂って「俺は道具じゃないぞ」と文句を言いはじめる。要するにキュレーターが勝手なシナリオを書いて俺を一番嫌なあいつの隣に置いた、俺とは関係ないヤツなんだって。しかし、キュレーターからすると、そのつながりこそがキュレーションの表現です。大きい展覧会ですと、アーティストは断りきれない。だから泣く泣く作品を提出している。こうしたことが、90年代以降の美術館の構図を組み替え始めたわけです。ニュー・テートのモネとリチャード・ロングを一部屋にするようなかつては考えられなかった無茶な置き方も許容されるようになった。パーマネント・コレクションの展示さえそうなったわけです。


 

ハンス・ハーケの
ラディカリズム

 

アーティストでキュレーティングを作品化する人までいます。とりわけラジカルなのはハンス・ハーケです。彼はロッテルダムのボイマンス美術館の展覧会で、どの美術館も山ほどもっているくずみたいなコレクションを――倉庫に保管してあるけれども見せない――全部ばらして表に並べてしまった。要するに世の中が作り上げてきたアートの評価基準を――価値基準っていうのは実は全くナンセンスなんだと――いきなり臭い物のふたを開けるようにして展示してしまったわけです。これはコンテクストを読み替える一つの方法ですから、大変な議論になった。いわば、現代美術におけるアメリカ文化帝国主義の支配に対して、破壊をやろうとしたことだったと思います。
ハーケはもともとグッゲンハイム美術館で展覧会やるときにグッゲンハイムの理事たちがもっている不動産のリストをマンハッタン中ずーっとチェックして一覧表を作り、それを作品として出そうとして大もめにもめたことがあります。結局それは展示拒否になり、あげくにキュレーターのエドワード・フライがグッゲンハイムから追い出された。
彼がやっていることは、近代美術館として出来上がった1世紀半あまりの美術館の図そのものを内側から壊そうということです。共通の美意識や共通の価値基準からする「これがいい作品です」という一種の啓蒙主義、教養主義と絡んだ展示を内側から否定しようとする動きですね。
フェミニズムも含めたポリティカル・コレクトネスに関わるテーマがそこから入ってきていると思います。善い悪いという意味ではなく、どれが正義だということもなく、その都度事件になる。これは美術界に起こっていることで、われわれ建築界にも起こっていいはずなんだけど遅れている。日本での問題はいつも言説がそこまで固まっていないうちに次に移っちゃうもんだから喧嘩がないんですよ。それが一番の問題なんだと思います。


 

美術館制度の成立と
商品アート

 

ところで、僕が見るところ、日本の美術館関係者の大部分は、どうやって今までのインスティテューションを保持するか頭を痛めていると思います。いま述べてきたことは、現在のインスティテューションに対する内部攻撃です。その攻撃にいかに耐えるかを考えている。それで美術館は反動化するんです。例えばインスタレーションなんかダメでやっぱり絵は平面だっていうような言説です。でも、これはグリーンバーグが言ったことを復唱しているに過ぎない。また、「絵画とは何か」なんていう展覧会を一生懸命やっているわけで、そういう一種の極端な反動化、守りの姿勢が目立ちますね。
これらのインスティテューションは、19世紀初めに国家の表象としての文化施設を作ろうとしたことに始まるわけですね。その中でのメジャーが美術館だった。インスティテューションがいったんできあがると、絵画がアカデミックになっていくように、美術館も固まってくる。そして、印象派が出てくる、近代美術が出てくるといった中で、美術館の関係者は芸術とは何かとか、これが美術だとかいう定義も同時につくっていったわけです。美術という概念でさえ、美術館が存在することから逆に捏造されたとさえ言っていいのではないですか。
近代美術館のその前は略奪美術です。法王とか国王がどこかに行って美術品をパクッて来た。あるいは強制的に開発にいったものを国家の権威で展示した。これが美術館の発生です。それに対して印象派以降の近代美術はこの既成権力に対抗するため、サポーターとして新たに都市生活者となったブルジョアジーを当てにしたわけです。彼らのとった手段は美術を一切合切マーケットに持ち出したことです。美術の評価は現在は値段で決まります。評論家が良いって言ったとしても、これは高くなるということは全然考えてないと思うけれど結果としては高く売れるわけで、そういう構図が生まれてくる。それは言うならばアートをコモディティ(商品)にした、つまり略奪アートがコモディティ・アートになった、これが近代美術です。
売れない絵描きがなぜアトリエにこもってこつこつ絵を描くのか。彼らは「俺が生きているうちか死んだ先でもいいから、俺の絵を買うヤツが出るだろう」ということを希望にして描くわけです。ゴッホが神話になる理由は一生のうちに二点しか売れなかったこともかかわりますね。彼は世界の大家になった。ああいうふうにこつこつと絵を描いてれば、いつか日の目を見るだろう、ディーラーが来て買って、マーケットに出て、美術館とコレクターが買い取っていく。そして神殿のようなところに保存されて展示される。そういう仕組みが美術館という構図の中にある。その中に入り込むために、自分の作品が収蔵されるための希望を持ちながらやっているわけです。多分何パーセントかは当たるでしょう。残りは全部ダメ。要するにたくさんの商品がマーケットに提供されるけど売れるのはごくわずかというのと同じ構図です。当たるヤツ、当たらないヤツが出てくる。
こうした商品アートをベースにした美術館が現在の美術館制度を作っているわけです。だから、永久展示がある、コレクションがある……ゆえにこの美術館は良いから見に来いという言い方になってくる。この仕組みはおかしいのではないかっていうのが、先ほどのハーケのような連中で、今までは排除されていた。だけどいまや美術館本体が自分自身のところでできあがってきた経緯と存在を自ら疑う状態が起こり始めている。これは第三世代といっている時代の一つの現象なんだと思う。
青木――ある意味では、20世紀はインスティテューションへの異議申し立ての連続だったと思います。ジョン・ケージにしても、それはそれまでの音楽というインスティテューションへの異議申し立てであったわけで、たしかにピアノの前で座ったっきり、音をひとつも出さないなんてことをしたら、音楽というインスティテューションは壊れてしまいますものね。でも、そのジョン・ケージもいまではそのインスティテューションの内側の正統的な作曲家と見做されています。つまり、彼の異議申し立ては、結果としては本当の意味での破壊ではなくて、インスティテューションの枠組みを拡張する機能であったと言った方がいい。となると、いま磯崎さんが言われたインスティテューションの破壊もまた、結局はその枠組みの拡張としてインスティテューションに回収されてしまうものなのか、それとも別の次元を切り開くものなのか……
磯崎――むしろ、そういうインスティテューション自身が組み立てた商品アートそのもののマーケットが崩れていくだろうと思います。そうしたときに、これを何が代替して――将来アートが存在するならば――何を手がかりに、どういうアートがインスティテューションを作るベースになるのか、ということは読めていないわけです。少なくとも、商品アートではないということだけは分かっている。インスタレーション、ビデオ、さまざまなニュー・メディア・アートがあることはある。しかし、それがインスティテューションのベースになるかどうかは簡単には言えない。なぜならばちょっと皮肉に言えば、それが「アート」と呼ばれている限り、商品アートに全部回収されてしまうような仕組みになっているからです。それがアート概念のおもしろいところです。
例えばデパートは非常に正直ですね。アートはやれば売れる、だから美術館つくれっていうことをダイレクトに考える。公共の美術館にしても本当は、多かれ少なかれ同じことやっているんですが、デパートは「アートは商品だ」とズバリ言い、公共はもうちょっとフィルターをかけたいと思っているだけで、あまり本質は変わらない。


 

●美術館建築の転換と難問

 

青木――なると、いまは先はわからないとしても、アートと見做されているものの外に出るしかやれることがない、ということになりますね。しかも、それがそう簡単には回収できないようなやり方で行なわれなくてはならない。しかし、それはまた、現代美術がずっとやってきたことでもあるわけです。
磯崎――展覧会をやるとさまざまなトラブルが起こるでしょう。詳しい経緯は知らないんですが、数年前「都市と美術」という展覧会で、作品の展示拒否という事態をめぐって東京都とアーティストがトラブルになったり、さらに古くは、富山の美術館が天皇の肖像をつかった作品を展示拒否したりというケースもある。こういう事件はこれからもっと起こるだろうと思います。そして、こうした出来事自体がアートなんだっていう人も増えてきた。そこで問題となり、無視できないのは、例えば地方のアート・フェスティバルだとか住民参加の展覧会です。お祭りをやっているのは確かですが、それがアートという名前でやられているから美術館は拒否できない。そういうのはだいたい市民参加ということになっているので、アマチュアの展覧会なのか、プロの展覧会なのか? 別の概念という理屈が付いてるときもあるけれど、曖昧。
では、美術館はどう対処するのか。ドイツではクンスト・ハレという展示場があります。ヨーロッパの他のところにもふえてきました。ミュージアムではない。元来ミュージアムはそこに系統的なコレクションがあると定義されて、これを永久展示する目的があるでしょう。ところがクンスト・ハレでは何でもありうると言える。良否の判断がつかない。商品価値はなかなかつけにくい。だけど可能性はある。そんな舞台になるのでしょうね。日本では美術館が市民ギャラリーをつくることがよくある。ガス抜きとも言われています。
美術はいまとりとめもなく拡散しているんですね。こうした状況に踏み込んでいって、事件や何かが起こるとインターネットでバンバン叩かれるから、建築家はどういう美術館を作ったらいいのか非常に難しい。この戦争が終わるまで待ちましょうっていうのが一番利口な方法だと思うんだけど(笑)、でもこれは永久に続くかもしれないですね。あるいは、仕事になるかなって思ったら、インターネットで展示すればいいじゃないかとか、そもそも美術というものがなくなってしまうかもしれない。そんな時代がこないとも限らない。
おそらく、美術館を設計する建築家は発想の転換を迫られるでしょうね。展示する美術作品、それが評価される美術という概念、さらには美術マーケットを構造的に支えている美術館というインスティテューション、そのいずれもが基盤が怪しくなってきた。一定のプログラムに基づいて設計をするわけですが、そのプログラムがあらかじめ組めなくなりつつあるというのが実情でしょう。だったら、何でもいいから場を与えてくれ、そうしたらそこに美術をつくってやるよ、という状況がちょっと前まではありましたが、その美術ももはや単なる造型物じゃないんだから、第一あるかどうかもわからない。困難ですね。こんな状態を僕は40年くらい昔にみた気がします。「プロセス・プランニング」を書いたのは図書館の建物がいまの美術館の置かれた状況に近いと思ったためです。あのときは、もっと整理しやすかった。だがそこでやったこと、最後の最後まで責任をとらされました。あのときは図書館のなかにまだ本があった。いまは美術作品があるか否かさえあやしいのです。