美術館の現場から[3]
Dialogue:美術館建築研究[8]


 蔵屋美香
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 青木淳


●資金繰りのための企画
青木──とはいえ、そのお金を用意するのも大変です。
蔵屋──イギリスは教育普及プログラムへの助成というのがたくさんあって、つねにいろいろな団体が、教育普及プログラムでお金が必要なら応募しなさい、という情報を流しているんです。その情報をキャッチしたファンドレイジング部門の人が、こんな助成金があるんだけど教育普及でやってみないか、と持ちかけます。金額やお金の使用目的がうまく一致すれば、教育普及部門の人が作文をして応募します。なにか新しいプログラムをはじめたかったら、そして基盤となる予算からそのお金が出そうもなかったら、まずは助成に申し込んでお金を工面することからスタートするわけです。
青木──さきほどの4割が公的補助金、残りの6割が稼ぎと言われていましたが、助成は「稼ぎ」に入るのですね。
蔵屋──公的補助というのは、例えばホワイトチャペル場合、タワーハムレットという地元の区や、イギリスの文化庁に当たるアーツ・カウンシルというところから毎年入ってくる、ベースとなる安定したお金です。これに対して、プログラムごとに取りに行くような助成金は、稼ぎに入れてもいいのではないでしょうか。
青木氏
青木氏
青木──しかし入場料収入がほとんどない。6割くらいの「稼ぎ」は、他に具体的にはどのようなところから得るのですか?
蔵屋──欧米の美術館はどこでもそうですが、なによりもパトロンからもらう寄付金、協賛金です。資金提供の交渉やVIP来館時の接待には、館長自らが積極的にあたります。むしろこれがイギリスの美術館の館長のもっとも重要な役目といってもいいくらい。加えてファンドレイジング部門もこまごまとVIPへのサービス提供をケアし、館長が作ったコネをサポートします。これらのパトロンは、日本と違って会社や組織ではなく個人の方が多いように見受けました。
またユニークなものとしては、アーティストのエディション作品(複数性を持つ、比較的安価な作品)を販売するというものがあります。仕組みはこうです。展覧会を開催するときに、館がアーティストに作品の制作費を出します。その代わり無料でエディション作品を作ってもらい、ナンバリングしてショップで販売するんです。そういえば、ちょうど秋ごろでしたか、ロンドンで大規模なアートフェア「フリーズ・アートフェア」が開催されていて、世界中のVIPコレクターがロンドンに集まっていました。ファンドレイジング部門では、これにねらいを定めて、なんとギャラリー内でエディション作品のオークションを行なったんです。おまけにスイスの老舗の現代美術雑誌『パルケット・マガジン』の創刊20周年記念パーティーまでひっかけて。
青木──オークション?
蔵屋──展覧会場内にそれまでショップで販売していたエディション作品を持ちこんで、オークション会社からプロが来てセリをする。セレブなコレクターたちが、それらを競り落としていくのです。彼らはわざわざエディションに手を出す必要のない、本物を買えるだけのお金持ちなんですが、ホワイトチャペルへの活動資金援助ということで、チャリティーの意味で手を上げるんですね。資産家たちが次々と作品を落としながら談笑するさまは、イギリスの上流社会ってこういうものか、となかなか圧巻でしたよ。
青木──すごい企画力ですね。
蔵屋──そうですね。この場合だと、ただエディション作品を売るだけでなく、アートフェアと雑誌の創刊記念パーティーという付加価値をくっつけて、雪だるま式に効果を大きくする。広報やファンドレイジングの人たちはこういう離れ業をいろいろしかけるのがうまいです。
青木──それ以外にはどんな企画があるのでしょう?
蔵屋──そうですね。例えば、広報部門の仕事ではないですが、教育普及部門ではさきほど言ったように国際的に名前の通った人による講演をひんぱんに企画しています。ハンス・ウルリヒ・オブリヒトとアーティストとの対談もありましたし、私の滞在の終わりごろにはスラヴォイ・ジジェクへのアタックもはじめていました。ここでは学術的意義ももちろん重要なんですが、話題性のある人選、ということがはっきりと意識されています。講演会は有料で、8〜15ポンド(1600円〜3000円ほど)を聴講者から徴収しますが、収支としてはたぶん赤字でしょう。それでもこれは、館としてのステイタスを上げ、つねに話題の的でいることの広報戦略の一端として、やはり有効なんですね。
青木──そこに競争があるのですね。他館と比べていかに魅力的な活動をしているか、内容における競争があるのはもちろんのこと、潜在的な資金協力者に対するプレゼンテーション力に激しい競争がある。
蔵屋──そうですね。資金を提供するほうも、自分が寄付金を出す機関や特定のプロジェクトが、どれだけの社会的意義を持っているかということを、シビアに判断しているでしょうから。
青木──社会的意義とは?
蔵屋──ホワイトチャペルの場合なら、やはり裕福とはいえない地域の住民に対する教育的な活動が一番の評価の対象でしょうね。あとは国際的に意義のある先端的なプロジェクトであるとか。


●美術館の存在意義/社会や地域への貢献 青木──ホワイトチャペルのある地域というのは、昔、切り裂きジャックが出たところですよね?
蔵屋──そうです。ホワイトチャペルの通用口から出たところの中庭が、ちょうど何番目かの犠牲者が発見された現場なんです。すぐ裏手には、犯人候補の一人が2階に下宿していたパブなんかもありますよ。
青木──そういう恐い感じがあります。
蔵屋──ホワイトチャペルがある地域はとても変わったところで、100年前もいまも、ロンドンで最も貧しい地域と言われています。ホワイトチャペルができたころには、ここにアイルランド移民がたくさん住んでいました。ちょうどドックランドという港とザ・シティという金融街のあいだにあって、港に上陸したけどザ・シティには入りこめなかった人の吹き溜まりみたいになっていたんです。ホワイトチャペルはまず、こうしたアイルランド人移民に美しいものを見せようという、この時代独特の慈善の精神によって設立されました。やがてアイルランド人たちが成功して出ていくと、そのあとに東欧の迫害から逃れたユダヤ人が住み着いた。さらに1970年代になって、バングラデシュの政変を逃れた旧植民地の人々が流れ込んだのです。現在では住人の4割近くがバングラデシュ系、ほかにパキスタン系、スリランカ系、アフリカのサマリ人なども多いようです。
青木──そういう地域がザ・シティに隣接している。
蔵屋──館を出て右手に10分歩くとザ・シティ。左に歩くと、すぐにカレー・レストランやサリーを売る店がひしめく、にぎやかなブリック・レーンという通りに出ます。
青木──そういう場所における美術館には、特有の役割があったし、いまもあるというわけですね。なぜ貧しい人たちに芸術を見せようと思ったのでしょう?
蔵屋──設立者夫妻はアーツ・アンド・クラフツ運動に強い影響を受けていましたから、普通のくらしにこそ美しいものが必要で、それを享受する権利は誰にでもある、という考えを持っていたのでしょう。はじめは泰西名画を見せていたようですが、少なくとも1930年代後半には前衛的な活動がはじまっていて、ピカソの《ゲルニカ》の世界巡回展もここに来ています。60年代、70年代以降は、例えばヨーゼフ・ボイスの伝説的なパフォーマンスの舞台にもなりましたし、いまや現代美術の世界では国際的に名の通った機関です。しかし一方で、当初からの活動の目的である地域の人たちとの関わりがおろそかになってはいけませんから、この2つのバランスをうまくとっていくことは、ホワイトチャペルにとって非常に重要なことだと思います。
青木──イギリスにおいて美術館に補助金を出す根拠には、一般的に、貧富や移民に代表される社会的な問題があるのでしょうか?
蔵屋──ホワイトチャペルはもともとその傾向が強いところですが、一般にイギリスの美術館はいま、ホワイトチャペル以外のところでも、すべてが社会問題に関わることを強く求められています。
青木──逆に言えばそれがなければ、助成金を減らされる。
蔵屋──政府の方針が明確です。評価基準をチェックする表というのがあって、一定期間ごとにそのチェック表に記入をして提出するんです。例えば身体的なハンデをもつ人のためにどれだけ工夫しているか、経済的に余裕がない人のためにどれだけ敷居を低くしているかなど、トイレやエレベーターといった施設的な面からマイノリティの積極的な雇用といったことまでチェックして、基準をクリアしていないと補助金に響くと聞いています。
青木──社会貢献や地域貢献をするという側面が、美術館の存在意義として非常に大きいのですね。
蔵屋──公的補助金、私的助成金を問わず、いまやそうした面のサポートにお金を出すことがブームだと、関係者が皮肉を言っているくらいでした。


●教育機関としての美術館 青木──美術機関のこうした位置づけについては、やはり経済的・人種的な格差、差別の問題を切り離して考えにくいですね。日本とはそもそも背景が違う。
蔵屋──違いますね。例えばニュー・オーディエンス・ストラテジーと呼ばれる、アーツ・カウンシルが打ち出している戦略的な指針があります。ニュー・オーディエンス、つまり新しい観客とは、バングラデッシュ系やパキスタン系といったさまざまな文化的背景を持つ人々、また経済的に苦しい人々、あるいは身体に障害があって来館しにくい人々など従来の来館者層からはずれて来た人々です。そういった人々を積極的に招き入れることこそ、美術館の大きな存在意義だというのです。
青木──マイノリティの人に来てもらうだけじゃなく、マイノリティじゃない人が、マイノリティとの共存を理解するというほうにも力を入れている。
蔵屋──うーん、理想的にはそうなんでしょうが、実際にはまだそこまで行き着いていないように感じられました。いまは美術館が一生懸命働きかけて、「新しい観客」たちに「教えている」感じが強いかもしれません。
青木──強者と弱者とのあいだに越えることが困難な壁がある。その緊張が大きくて、暴走の危険と隣り合わせになっている。
蔵屋──ロンドンから帰ってきてすぐ、例の爆弾テロ事件がありました。現場となった駅のひとつはリバプール・ストリートといって、私も毎朝通っていましたが、ザ・シティの最寄駅であり、なおかつホワイトチャペルのあるオルダーズゲート・イーストの隣駅なんです。つまりホワイトチャペルとザ・シティという、驚くべき貧富の差が隣り合わせになった部分であの爆弾テロが起こったわけで、なんだか妙に納得しましたよね。いわゆる白人と移民の人々は、お互い相手にかまわないようにして、無関心というかたちで一見うまく共存しているように見える。でも、やはり学歴や就職の差別が見えにくいながら厳然としてあり、しかも、移民の親に教育がなければいい仕事にはつけず、親に収入がなければ子どもは充分な教育を受けられず、したがって子どももまたいい仕事につけず……という具合に、貧困が再生産されていく。将来に希望を持てずにもがいている若い人々がたくさんいるのでしょう。もちろんテロという行為は許されるべきではありませんが、それぐらい厳しい社会状況の中で、美術館のみならず、博物館でも、テレビ、ラジオなどのマスコミ媒体でもなんでもいいからツールにして、その摩擦をやわらげようという努力が続けられているのです。その大きな流れの中に、美術館もまたあるんです。
青木──その努力が教育普及の活動だけでなく、展覧会の内容までに及んでいるのでしょうか?
蔵屋──例えばテート・モダンでは、「Shrinking Childhood(縮む子ども時代)」という展覧会がありました。庭にコンテナがたくさん並べてあり、その一つひとつを見て回るというものです。中に入ると、子どもたちとアーティストとのワークショップによって生まれた絵画やインスタレーションなどが展示されています。陰湿ないじめ、ギャング仲間に入って傷ついた子、麻薬の売人をしている子、親に売春させられている少年。これが本当にあることなのかと疑いたくなるくらい悲惨です。
青木──しかし、本当に美術館の活動が、実際問題として、そうした社会的困難に影響を与えられるのでしょうか?
エデュケーションプログラム風景
「Shrinking Childhood」展、会場風景
(テート・モダン、2004-2005年)
蔵屋──例えば、わたしが実際に立会いをした教育普及プログラムの中に、日本では高校生にあたる年齢の、専門学校の男の子たち対象のものがありました。人種的には全員白人ではありませんでした。過激な性的イメージを用いて巨大なドローイングを描くポール・ノーブルという作家の作品を見せ、次にそこからインスピレーションを得て自分たちでドローイングを作るという丸一日のプログラムでしたから、男の子たちは当然悪乗りしていろいろと品の悪い絵を描くんです(笑)。でも、帰る間際になって自分の作品をやぶってしまった子がいました。彼の家は敬虔なイスラム教徒で、こんなきわどいものを家に持ち帰って母親や妹に見せることはできないと言うのです。イギリスの美術館の正職員のほとんどは、一般に高等教育を受けた白人種によって占められています。しかし、こうした経験を通して、美術館側は、自明のものだと思っていた西欧のコンテンポラリー・アートのスタンダードが、ときに他者を思わぬ方法で傷つけるということを学んでいくわけです。その意味でこうしたプログラムは、少なくとも両者の出会いの場を提供するという意義を持つでしょう。アートなんていうなまぬるい手段ではしょせん最後はなにもしてやれないのに偽善的だ、とか、「かわいそうだから助けてやる」というあからさまな上下関係が鼻につく、とか、批判のしようはいろいろあると思います。特に波風のおだやかな日本の社会、美術界から眺めるとそう見えてしまうかもしれない。でもわたし自身半年イギリスにいたことで、問題のあまりの厳しさに、どんなに偽善的でも鼻についても、少なくともこの社会においては、なにもしないよりはずっとましなのだ、と思うようになったのです。効果はたぶんすぐに眼に見えるかたちでは出てこないかもしれない。でも、1000人のうちのひとりでも将来アーティストになりたい、なんて夢を描くきっかけをつかんだとしたら、こうした活動には意味があるのではないでしょうか。もっと現実的に言うなら、未来への希望を持たせるこれらの活動が、一種のガス抜きとなって、若者の暴力を未然にふせぎ、社会を安定させることにもなるわけです。


●美術館の自立へむけて 青木──「稼ぎ」の話に戻りますが、ファンドレイジングや広報を専門家に託し、あらゆる魅力をアピールして収入を増やす。健全な経営努力のように思えますが、逆にその弊害というものもあるのでしょうか?
蔵屋──お金をもらいやすい方向へと皆が流れる、ということはあるようです。広報担当やファンドレイジングの人が展覧会の内容に口を出すようになったとの話もあちこちで聞きました。
青木──展覧会の内容にですか?
蔵屋──こんな玄人向けの企画ではお金を集めにくいとか集客が見込めないとかいったことでしょう。実際ナショナル・ギャラリーやテートといった大型美術館の場合、ラファエロとかカラヴァッジオとかモネとか、華やかで、かつ誰にでもわかりやすく、大量に投入した資金を大量動員によって回収するという展覧会が増えているような印象を受けました。こういうのをむこうではブロックバスター展と言うんだそうです。イギリスの美術関係者の中には、テート・モダンの展覧会は行く気がしない、なぜならちっとも先鋭的じゃないから、という人も何人かいました。
青木──イギリスは美術館への国家予算支出が減り、美術館が自立への道を歩み出したという点で、これからの日本の美術館にとって参考になる点が多いと思います。日本における美術館の法人化というのも、意識的なのか無意識なのかわかりませんが、イギリスから輸入されたような気がします。しかし、いろいろな点で美術を取り巻く背景が違い過ぎる。形式だけ取り入れてもうまくいかない。
蔵屋──おっしゃるとおり、法人化はイギリスをモデルにしているんです。80年代にサッチャー首相が政策として打ち出したものですね。しかし、これまたおっしゃるとおり、例えばお金のある人がチャリティーで社会的な事業に出資する、という独特の伝統がイギリスにはあって、これが美術館の資金集めを可能にしている側面がある。日本ではそうした伝統が弱いし、寄附による税制の優遇措置も整備されていませんね。さらにはさきほど話に出たニュー・オーディエンス・ストラテジーのように、イギリスの政府には、お金儲けだけには還元できない美術館の社会的な存在意義をある程度認めようとする姿勢がある。日本の美術館の法人化では、こうした理念的な問題はいまだ置き去りにされたままで、ただ収入増加の掛け声だけが大きくなっています。この2点だけ見ても、たんなる制度の輸入ではすまない問題点が浮かび上がってきます。
青木──それはそのとおりですね。しかも、その二つはいまの日本に期待しようもありません。ただそれでも、自立しなさいと申し渡されたイギリスの美術館がいろいろな面で切り開いたことのうち、僕はミュージアムショップとレストランの位置づけに関しては、日本でもかなりできるのではないかと思っています。ヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアムは、家具などをデザインしてプロダクトをつくっています。美術館というのはひとつのブランドになりえますから、そのプロダクトは必ずしも自分の美術館だけで売らなくてもいい。他でも置いてもらえる。これがひとつの収入源になっていますね。それからエジンバラでは、地元企業にスポンサーシップになってもらう見返りに美術館の部分をその企業のセレモニーに貸すというようなことをしています。食事はレストランが提供できますね。ミュージアムショップやレストランを委託に出すのではなく、美術館の収入資源と位置づけることが可能だと思います。もっとも、日本で企業がスポンサーになってくれるかどうか、疑問ですけれど。
蔵屋──そうした努力は日本でも少しずつはじまっています。東京国立博物館ではすでにファッションショーや映画の上映が行なわれました。東京国立近代美術館でも、館の立地がいいので企業のレセプションや新作発表会の申し込みがけっこうあり、施設の貸出を行なっています。法人を対象とした賛助会員の制度作りも手探りで進められています。
青木──どこを貸しているのですか?
蔵屋──おもにエントランスホールと講堂です。ただし、したたかに対価を得るため戦略的に動く、というより、公共施設を有効に活用してもらうという発想になりがちです。そのため現状では、かなり安い値段で貸出が行なわれています。自分たちに必要な活動費をこういうかたちで出していただく、という発想の切替えがなかなかできません。
青木──一般的に、日本の美術館で公的資金を期待できない現実に直面していることを誰もが知っているのにもかかわらず、なかなか前向きな手が打てないのは何故でしょう?
蔵屋──つまるところ、ファンドレイジングとか、魅力的なショップ運営を行なって収益をあげるというようなことは、しつこいですがプロフェッショナルの仕事なんです。したがって、いままでいた職員がそうした仕事をこわごわ手がけているうちはなかなかうまくいかないのではないでしょうか。先行例であるイギリスが苦しみながら現在の状態にたどりついたように、まずは人の配置をメチャメチャにいじる覚悟が必要かもしれません。また、人員も予算も減らしながら、収入を得るための新しい事業だけはどんどん開発しろ、という政府の方針も問題です。初期投資はしないが精神力でなんとかしろ、という現状が、美術館の現場に過剰な長時間労働と士気の低下を招いています。
青木──そうですね。美術館の組織自体を変えようという内発的な力と平行していなければ無理でしょうね。組織のあり方を変えるというのは大変なことです。組織の目標を変えるのなら、その目標が達成できるように、組織の内部に手をつけ、ケアする必要があるということですね。

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