美術館の現場から[3]
Dialogue:美術館建築研究[8]


 蔵屋美香
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 青木淳


●明確な役割分担/各部門の強い専門性 青木──これだけのことを3人でというのは信じがたいですね。それからさきほど、重要と言われたファンドレイジングの部門があるわけですけれど、そこも少ないのかしら。
蔵屋──ファンドレイジング部門は2人でした。
青木──具体的にはどのような仕事をしているのですか?
蔵屋──じつは、ここにはそんなに詳しく関われなかったのですが、おもに篤志家へのアタックとメンバーシップの運営とを仕事にしていたようです。個人から大口のパトロンまで、特典やサービスの提供を行ない、メンバーシップや寄附への魅力を高める努力をします。また、独自のファンドレイジング・イベントも行なっていました。
青木──専門家という意味では、他に設営をする方もいますよね。
蔵屋──事務室のドアのたてつけから展覧会場の施工まで、すべての面倒を見てくれるのがビルディング・マネージャーです。ジョブ・シェアリングで、ヘッドとして週3日勤務が二人交代で来ていました。ひとりは女性で、かっこよかったですよ。展覧会の施工に当たっては、キュレーターが描いた図面をもとに、材料や人工の手配を行ない、インスタレーションの設置なども仕切っていました。大工さんや作業員は、その都度フリーの人を集めていると言っていました。
蔵屋氏
蔵屋氏
青木──ジョブ・シェアリングは日本ではあまりないですね。
蔵屋──ないですね。自分の時間を大切にする姿勢が印象的でした。
青木──ショップの運営も自前ですか?
蔵屋──ミュージアムショップは、アート関係の本屋さんが委託で運営しているかたちでした。カフェは直営で、専門のショップマネージャーがプロデュースしています。そんなに大きくはないですが、ちゃんとシェフがいて、比較的安く、イギリスにしてはまあまあおいしい(笑)ので、お昼は学生さんやアート関係者、近所の勤め人なんかでいつも満員でした。またこのカフェは、夜間開館をする毎週木曜日にバンドやDJが入って、アート好きな若者なんかで立錐の余地もないぐらい混み合うんですよ。
青木──忘れていましたけれど、さきほどもうひとつの重要なセクションとして挙げられていた宣伝広報がありますね。そこはどんな仕事をしているのでしょうか?
蔵屋──ここはチラシやホームページなどの作成を担当する一方、展覧会ごとに食いつきそうな媒体をみつくろって取材を持ちかけたりして、ずいぶん能動的に動いていました。取材がくればもちろん対応し、会場撮影の立会いから展覧会についてのコメントまでこなします。驚いたのは、例えばチラシの文章など、キュレーターがネットワーク上に置いておいた展覧会趣旨を、広報担当者が勝手にリライトしてプレスリリースやチラシを作成することです。キュレーターのこむずかしい文章では、一般の人や、とりわけ大口のパトロンに通用しない、ということなんでしょうね。しかし実際にはこの方式について、広報部門が文章の内容を正確に理解しないまま単純化するケースなどが多く、互いに不満があるようで、キュレーターと広報のあいだに確執があるように見えましたよ。
青木──まとめてみますと、館長のイオナ・ブラズヴィックがいて、その下に展覧会部門、教育普及部門、ファンドレイジング部門、宣伝広報部門、ビルディングマネジメント部門がある。もちろん、それ以外に、経理や人事の庶務のセクションがある。役割分担が明確で、それぞれの部門にかなり専門性があるようですね。
蔵屋──そうですね。特に展覧会部門と教育普及部門以外のしくみが大きく違うように感じました。例えば広報の仕事は、日本でも、少しずつ専任のかたを置くところも出てきたようですが、学芸が展覧会準備のさなかに片手間でやっていたり、庶務系の係が展覧会やジャーナリズムについての知識もないままやっていたりするところがまだ多く、館のイメージ作りや収入に直結する仕事であるにもかかわらず、なおざりにされがちです。だけど、競争の激しいヨーロッパではいまやそんな体制ではとてもやっていけないようです。個々の仕事を明確化し、そこに完全なプロフェッショナルをポストにつけることが重視されていました。
青木──日本の学芸員は、展覧会、カタログ作成、教育普及、広報、作品の貸し借り、イベントなど、ともかくそのすべてに関わっているようですね。金沢21世紀美術館のように、教育普及はこのところ、ある程度、独立してきているようですけれど。
蔵屋──12、3年ほど前から教育普及を独立した係としておくところは少しずつ増えていると思います。東京都現代美術館のようにある規模の人数がおかれている館もあります。教育普及は住民への利益が眼に見えやすいので、バブル崩壊後の経済的な逆境下で、かえって拡充してきています。
青木──ファンドレイジングも学芸の人がやっている場合が多いようですね。
蔵屋──うーん、庶務系が担当するところと半々ぐらいではないかと思いますが、ただ、学芸も庶務も、どちらも素人なんですよ。あるサービスと理念を提供して、それに共鳴したかたにお金をいただく、という最も難しいことが、素人の片手間でできるわけもなく、ここにプロの人員をつけない限り、いま声高に言われている独立採算路線はリアリティがないですよね。
青木──ビルディング・マネージャーも普通はいませんね。そのために、展示毎に展示施工会社に外注しなければならない。それはそれでいいのかもしれないけれど、コストは高くなるし、美術館自体の中に設営・展示の能力が蓄積されにくい。それに、その場で作家がちょっとこんなことをしたいと閃いたときや、日常的な局面で、ワークショップでこんなことをしようと思ったときに、館にビルディング・マネージャーなりカーペンターがいれば、うまく対応できると思うのです。やはり、ビルディング・マネージャーは、そろそろ日本でもいるのが普通になってほしいですね。
蔵屋──いると助かるでしょうね。
青木──珍しい例だと思うのですけれど、水戸芸術館には展示設営の専門家がいますね。
蔵屋──東京国立博物館でも、数年前から照明デザイナーなどを展示部門に配置していますよね。
青木──ともかく、ホワイトチャペルは、少数精鋭のプロ集団というか、少ない職員で運営されている。
蔵屋──すごく少ないです。お金がないので、とにかく最低限の人数でやらなくてはいけないのです。


●徹底したアウトソーシング/アーティスト・エデュケーターの役割 青木──最低限の人員で運営するとなると、皆が長時間労働になっているのでしょうか?
蔵屋──いえ、夕方6時にはビルディング・マネージャーが鍵を閉めるので、彼もしくは彼女を残業させないために、全員さっさと帰らなければならないのです。
青木──残業しないですべての仕事をやらなければならない。
蔵屋──そうですね。
青木──どうしてそれができるのでしょう?
蔵屋──ひとつはまず、決断をはやくすること。これは、例えば役所のようにすべての関係者に原議をまわしてはんこを押してもらって決済、なんてことはなく、かなりの権限を現場に委譲しているので、そのへんは大幅に効率アップだと思います。もうひとつの秘訣は、外部に任せること。アウトソーシングはほんとに徹底しています。
青木──分業が進んでいるうえにアウトソーシング。外部にはなにをどういうふうに任せるのですか?
蔵屋──一番顕著なのは教育普及です。職員の3人は司令塔なんですが、例えば子どもを受け入れるにあたっては、アーティストを何人かリストアップしておいて……。
青木──アーティスト?
蔵屋──さきほど教育普及部門のところで話に出てきましたが、アーティスト・エデュケーターという職業を名乗る人が、イギリスにはたくさんいるんですよ。
青木──彼らはアーティストなんですか?
蔵屋──アーティストです。自分本来の表現もするけれども、子どものワークショップや観賞教育についてもある程度勉強していて、各地のワークショップなどを仕切ってキャリアを積んでいる。しかもその活動が、自分の作品にもフィードバックされるし、美術館とのコネ作りにも役立っている、そんな人たちです。
青木──自分の作品を作るという行為とエデュケーションが、本人の意識の中でどこかでつながっている?
蔵屋──じつは私がロンドンへ行って最初に手伝った仕事が、アーティスト・エデュケーター公募の面接だったんです。
青木──アーティスト・エデュケーターを公募するんですか?
蔵屋──そうです。それまで口コミで集めていたアーティスト・エデュケーターを、その年から公募に切り替えたんです。
青木──何人くらいの人を選ぶのですか?
蔵屋──今回の定員は20人でした。
青木──どのくらいの応募があるものなんでしょう?
蔵屋──正確な数は忘れましたが、何百という数でした。はじめにすべての応募書類に目を通して、ざっとふるいにかけます。残った40人くらいを面接して、20人にしぼりこむところから、一緒にやらせてもらいました。
青木──どんな面接でした?
蔵屋──質問は、まず自分の制作について、次に、これまでエデュケーターとして行なってきた仕事の内容や反省点、そして自分の制作とエデュケーターとしての経験がどうつながっているのか、という、おもに3点でした。
青木──アーティストはそうしたことをうまくしゃべれるのですか?
蔵屋──それはもうべらべらと。大体の人は、子どもに触れる経験によって新しい視点を得たとか、観客とのコミュニケーションについて多くを学んだとか、そんな感じのことでしたね。イギリスは一般に言語でアピールするということを非常に重視する国なので、訓練の賜物というか、アーティストもみな口はものすごく立つんです。この程度の作品でここまで言うかなあ、みたいな感じの人もけっこういます。逆に、英語が母国語ではないアーティストもいましたが、どうしても説明がたどたどしくなる。すると、比較的作品がよくても、やはり落とされていましたね。言語の政治学というか、眼に見えない壁があって、外国人にとっては厳しい環境だと感じました。
青木──年4回展覧会があって、展覧会ごとに教育普及活動をすると、ひとつの展覧会につき3カ月くらい時間がありますよね。さきほど話に出たようなプログラムのどのへんにアーティスト・エデュケーターが登場するのですか。
蔵屋──一番多いのはさっきお話した学校受け入れです。3カ月間毎週1回ですから一展覧会あたり12回か13回。コミュニティー・プログラムはその都度立案するので、回数は決まってはいません。他に、展覧会と関係なくアーティスト・エデュケーターが定期的に学校に出張して行なうプログラムも計画されていましたから、アーティスト・エデュケーターの関わりかたはわりにさまざまですね。
青木──どこまでがスタッフの仕事で、どこからがアーティスト・エデュケーターに任せられているのでしょうか?
ワークショップ風景
6、7歳の子ども向けワークショップの様子
撮影=森千花
蔵屋──例えば学校受け入れの場合、プログラム当日は、来た子どもたちを迎え入れてから送り出すまで、すべてをアーティスト・エデュケーターに任せてしまいます。そのため、プログラムの内容からランチの取り方にいたるまで、前もって館の職員との打ち合わせが行われます。例えばわたしが立ち会ったプログラムのひとつでは、6、7歳の子どもを対象に、トバイアス・レイバーガーというインテリアを主題にしたアーティストの展示を見せて印象を話し合い、続いてダンボールやセロファンを使ってお気に入りの隠れ家を作るというワークショップが行なわれました。この作家の作品に対する本質的な理解をどのようなプログラムによって引き出すか、のりやはさみなどどういった素材を用意すべきか、カッター使用は是か非か、など、あらかじめ館の職員とアーティスト・エデュケーターとのあいだでかなり細かい部分までが決定されていました。
青木──アーティストがちゃんとやっているかどうかというのはどうやって判断するのですか?
蔵屋──終わった後に簡単な反省会があります。ここが良かった、悪かったと採点して、そのシートを書き溜めておきます。イギリスでは必ずこの「エヴァリュエーション」と呼ばれる反省と評価の過程がプログラムの最後に組み込まれます。
青木──観察シートみたいなものですね。
蔵屋──そう、観察シートです。わたしも実際にやりましたが、けっこうこまごまとシビアなことを書くんですよ。個々の子どもへの目配りがたりないとか、思い込みで子どもに結果を強要してる、とか。
青木──そうすると、館の教育普及の人たちの役割は、もっぱら監督・監修ということなんですね。
蔵屋──打ち合わせはきちんとして、でもそれで任せられると判断したら、いさぎよくアーティストにすべての権限を持たせてしまう。そうでもしないとこれだけの仕事はさばき切れないということもありますし、同時にそれを逆手にとって、外部を分け隔てなく受け入れることを積極的な理念にもしている。わたしだったら、事故が起きたときに誰が責任を取るのかとか、プログラムのクオリティが一定に保てず館としての一貫性を疑われるのではないかとか、ついつい考えちゃいますが、こういうことはあんまり気にしないんです。つねに開かれたものにしておいて、いろんな人が自分のやりかたでやる。もちろん実際には首をひねるようなプログラムが混じる確率も高くなりますから、当たり外れは美術館直営方式より大きいと思いますけれども。
青木──どの部門も開かれているのですか?
蔵屋──学芸部門はむしろ閉鎖的ですよ。借りた作品を扱っているという事情もあって、そこは館長と2人のキュレーターと2人のコーディネーターだけでがっちりコントロールしています。
青木──教育普及というホワイトチャペルにとって非常に大きい仕事が、逆に開かれてる。
蔵屋──それを理念にもしていますし、そんなきれいごとばかりでなく、自分のための時間をきちんと確保しつつ業績はばんばんあげる手段として利用してもいる。いろんな意味で、ルーズになり、捨てるものは捨てることで、積極的に前に進んでいる。賢いですね。
青木──うーん。お金がないから職員をあまり雇わない。そのかわり外注する。おもしろい方法ですね。
蔵屋──アーティスト・エデュケーターに支払われる日当が、フルで1日プログラムを担当した場合一日150ポンド、日本円にして3万円ですから、イギリスの物価を考えると決して高くはありません。

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