アートの現場から[4]
Dialogue:美術館建築研究[7]


 杉本博司
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 青木淳


●彫刻か、数理模型か
CONCEPTUAL FORMS
森美術館「杉本博司:時間の終わり」
展示風景

杉本博司
左:《観念の形 ディ二曲面:擬球をねじって得られる負の定曲率曲面》(2005)
右:《観念の形 オンデュロイド:平均曲率が0でない定数となる回転面》(2005)
写真:渡邉修
写真提供:森美術館
青木──今回の森美術館での個展では、「COLORS OF SHADOW」ともうひとつ、たぶん初めて見せてもらうことになる作品がありますね。「COLORS OF SHADOW」がこの部屋という3次元の空間とセットになっているように、このコンスタンティン・ブランクーシの無限の塔を思い出させる立体を制作されています。これは金属でできているのですか?
杉本──アルミの無垢材からの削り出しです。
青木──この場合もこの立体は展示されないで、写真を撮られるのですか。
杉本──こちらはこれそのものが作品です。
青木──私はパリのカルティエ財団現代美術館で、「CONCEPTUAL FORMS」を見ましたけれど、この立体はそのシリーズで撮られていた数学的模型のひとつを単位にして、それを積み重ねてできていますね。元々の模型は石膏だったと思いますが、それが反射を持った金属に置き換えられています。そして、今度は写真が作品ではなくて、こうして彫刻になったもの自体が作品だというわけですか?
杉本──これは彫刻かどうかということになりますが、このかたちを考えたのは僕ではなくて、三次関数の数式があって、それをかたちにしたらこういうことになったというわけです。コンスタンティン・ブランクーシは、アートとして彫刻をつくった訳ですが、私の場合は数理模型としてつくっています。これは工作のための指示をあたえるコンピュータのソフトをつくるのが大変でした。東京大学の大学院数理科学研究所と生産技術研究所の共同作業でお願いしました。工作機械用のプログラムをつくるのに1年半ちかくかかりました。これはある意味で建築的な興味とも関わってきます。
青木──どういうわけか、私がなにかをつくるときには、私のなかの意思であったりイメージだったり、そうした恣意性を排除したいという欲求があります。それは一種の責任逃避かもしれませんけれど(笑)。でもそれと同時に、恣意性排除の欲求から出発するからこそ建築なのだという気持ちもあります。すべての判断決定基準を自分の外に置いて、それにすべてを仮託してしまったときになにが現われてしまうか、その間のドライブで視界に入るものやその結果を見てみたいから建築をつくっていると言ってもいいかもしれません。たとえば私はニューヨークのグッゲンハイム美術館とよく似た《潟博物館》という建築を設計したことがありますが、これはひとつの数式からできあがる末広がりの螺旋のかたちをしています。
潟博物館
青木淳《潟博物館》
撮影=青木淳建築計画事務所

CONCEPTUAL FORMS
「CONCEPTUAL FORMS」
機構モデルシリーズ
興味深いのは、「CONCEPTUAL FORMS」がこの数学の模型のシリーズと機構モデルのシリーズのセットから成っていたことです。その2つの対象は本来はずいぶん違った文脈にあると思うのですけれど、それらが等価に見えました。機構モデルもまた、恣意性を排除したかたちだというわけでしょうか? もっとも、機構モデルの方は、もっと彫刻的に見えましたけれど。
杉本──たしかにこちらは彫刻に見えますね。19世紀の機構モデルというのは、別にアールをつけたりとかする必要はないわけです。しかし、それは当時の人達の美意識というか建築的な美意識が知らない間に入っている結果ですよね。
青木──機構モデルあるいは機械部品というのは、どんなに厳密に機能を追ったものであっても、人間のある美意識を反映せざるをえないと思います。だから機構モデルには実際に目的から逆算されていると同時に、そういう恣意性の排除という美意識が同時に現われていると思います。それを杉本さんは、実に堂々とした黒く輝く物体として、つまりそれが単に恣意性を排除された物であるというより、恣意性を排除したいと感じることの根っこにある感覚の具現として見せているように思われました。実物にもそういう感覚が現われているのかしら。
杉本──実物を見るとがっかりしますよ。すごく小さいものですから。これは、建築シリーズ(「ARCHITECTURE」)とまったく同じ方法で撮っています。というのは、カメラもレンズもほぼ同じようなものを使っていますし、建築写真のように下から見上げてあおりをつかってなるべく垂直を出すようにして撮っています。スケールこそ違うものの、取り方としては似ているわけです。ですから模型を撮っているようにも見えるわけです。
青木──そうだったのですね。つまり杉本さんにとっては、機構システム模型も近代以降の建築も、恣意性排除への希求という点でまったく同じものだというわけなのですね。そしてこの希求の徹底によって、モノが時間や文脈や歴史を離れて自立してしまう。そこにモダニズムが永遠性と結びつく契機を見る、と。いや、そもそもモダニズムがテーマなのではなくて、永遠性がテーマと言った方がいいのかもしれません。ともかく、これらの小さなものは見上げることによって、更に実際のサイズも超越してしまう。
杉本──小さいですが、近づいて見上げているわけです。そうするとどういう訳か、ああいった写りになってくるわけです。普段は見下ろすものなのですが、逆に見上げているわけです。そうすると、スケールが狂って見えてきます。

青木──こうしてお話しを伺っていると、永遠性であれ普遍性であれ、時代や時間から独立した揺るぎない世界への信念というものが感じられてくるのですけれど、それは杉本さんの個展──と言っても大きなものでは、私はまだカルティエ財団現代美術館での個展しか拝見したことはないのですけれど──の会場構成の厳密さにもよく現われているように思います。森美術館での大回顧展は、その意味でもとても楽しみです。さきほど、オフィス、と呼んでいいのでしょうか、に森美術館での大きな会場構成模型が置かれていたような気がしました。もしよろしければ、見せていただけますか?



●森美術館での会場構成/キャラクターの違う場所をつくりだす
青木氏
会場構成模型を前に

青木──今回の展覧会はワン・フロア全部をつかっているわけで、たぶんひとりの作家の個展としては、森美術館での展覧会のなかでもっとも大きな規模ですね。その順路のほぼ真ん中に「SEASCAPES」があって、そこだけは壁床とも漆黒の闇に包まれている。ここに能舞台がつくられるのは、ブレゲンツでの個展同様ですね。
杉本──ブレゲンツでは材木会社がスポンサーになってくれてスイスの松材でつくりましたが、今度の場合は吉野檜で、将来この板は再利用するわけです。舞台そのものが彫刻的なクオリティをもっていて、凛としている。
青木──夜の帳が降りて、そこに清楚な能舞台が現われ、「SEASCAPES」の海がその背景になっている。かつて砂浜で演じられ、いまではその名残として老松が背景の板に描かれている能の世界を、もっとも純粋かつ抽象化した空間に還元しようというわけですね。これは会場のなかで、大きな山場ですね。
杉本──ここは金も気合いも入っていますから(笑)。自分でも見てみたいということでしょうね。最初の「CONCEPTUAL FORMS」の展示室では、天井高が6メートルで、5.5メートルくらいの壁を掛けるのですが、さきほどの能舞台がある「SEASCAPES」の展示室の次には、一辺が26メートルある壁をつくって、壁の内側を穿ち三十三間堂の千体仏の写真が柱なしで全部つながって展示されます。
海景
観念の形
colors of shadow
劇場
森美術館「杉本博司:時間の終わり」
展示風景

上:
「SEASCAPES(海景)」シリーズ(1980-2002)
能舞台(2005)

中上:
「CONCEPTUAL FORMS(観念の形)」シリーズ(2004-2005)
*「観念の形」シリーズは、東京大学総合研究博物館と杉本博司の共同企画に依るものです

中下:
手前=「COLORS OF SHADOW(影の色)」シリーズ
奥=「ARCHITECTURE(建築)」シリーズ

下:
「THEATERS(劇場)」シリーズ(1975-2001)

以上、すべて
写真:渡邉修
写真提供:森美術館
青木──一千一体の仏像。まさか実際には33間はありませんよね。
杉本──33間というと60メートルですから、半分くらいですね。ここを通ると「THEATERS」の展示です。この展示室の奥に「THEATERS」シリーズのカタログ本があるのですが、表紙に発光塗料が塗ってあって、それを100冊壁に掛けています。この部屋は30秒に一回くらい照明が落ちるので、壁全体が光るんです。このカタログは、夜、寝る前に消灯すると本棚のなかで杉本カタログだけが発光するという仕掛けになっています。
次の部屋では、「PORTRAITS」を展示していますが、まずはじめに昭和天皇があって、次にヘンリー8世と6人の妻へと続きます。この部屋の前には本物の平安期の千休仏の観音像のひとつの頭部に付いている化仏(けぶつ)が展示されています。それから次の部屋には、例の直島の神社《APPROPRIATE PROPORTION》の模型と、松の作品《PINE TREES》あります。模型は地下道をのぞけるようになっているのですが、そのさきに東京湾が望めるようになっています。昼間は外が明るくなりすぎるので、フィルターをつけています。
青木──実際に、のぞけるわけですね。
杉本──実際には、東京湾の水平線がぼうっと見える程度ですね。
青木──ずいぶん仕掛けがありますね(笑)。
杉本──それから神社の模型の前には、33間堂をヴィデオ化した作品があります。5分のあいだに100万体の仏が見えるという作品です(笑)。

青木──想像以上に明快かつ厳密な展示構成で驚嘆します。それではまずいのでしょうけれど、この模型を拝見するだけで、すでに見て堪能してきたような気分になってしまいました。それに正直、森美術館がはじめていい展示室空間に思えました(笑)。言うまでもなく、それはこのプロポーションやサイズにおいて「帯に短しタスキに長し」という不可思議な空間を、それを欠点とするのではなく長所として使い切ることのできる空間の構成力によっているのですけれど。特に、「CONCEPTUAL FORMS」やアルミの新作彫刻の空間、三十三間堂とその脇の「THEATERS」の配置、その両方とももともとは大変使いにくい空間だったはずですけれど、それがまったくスキなく、むしろこの空間で良かった!というようなすばらしい使い方になっています。森美術館のもうひとつの展示の難しさ──必ずしも悪口を言っているのではありませんが──は、斜めに置かれる2つの部屋で、どうしてもこの部屋の独立性が強く出てしまうことですけれど、杉本さんは逆に他の空間の独立性をその部屋の独立性に合わせてしまうことで、この問題を解消しています。それが、部屋から部屋へ、ずいぶんとキャラクターの違う場所を訪ね歩くという全体構成になっているわけですね。
杉本──部屋に入ったときに、違うところに入ってきたと関知できるようなキャラクターを持たせたい訳です。
青木──それによって新しい部屋ごとに驚きを感じながら、この巨大な空間をいつの間にか廻ってしまっている。こういうことは、大きな会場構成模型をつくって、そこに可動壁を配置して、さらに縮小した作品マケットを貼って、はじめてできることかと思います。
この模型はご自分でつくられたのですか?
杉本──自分でつくって、図面とともに森美術館側に見せました。
青木──個展をなされるときは毎回模型をつくるのですか。模型を使って、時間をかけて会場構成を練るのでしょうか?
杉本──僕は、だいたい頭のなかで構成が決まってしまえば、これでいけるということになりますから、この模型は自分のためというよりも、むしろ美術館側に見せるものです。ですからそれほど時間はかかりません。自分の中でイメージを差し替えたときにどういう順番がいいか、そういったことの確認には使うことがありますが。
青木──ということは、会場によって作品の大きさが変わるのではなく、作品の大きさは先に決まっているということでしょうか?
杉本──作品の規格は決まっているので、写真の大きさは大きいか小さいかしかないですね。それから縦か横か、フレームの素材をどうするかですね。
青木──なるほど。だとすれば、模型をつくらなくても、実際の会場を歩いて、ここにこれを、あそこにあれを、と頭のなかで構築していくことができるのかもしれませんね。それにしても、その頭のなかの構成イメージが模型をつくられてもズレていないというのは、やはり驚きですけれど。

★杉本博司:時間の終わり
会期=2005年9月17日(土)〜 2006年1月9日(月・祝)
会場=森美術館(六本木ヒルズ森タワー53F)
詳細=http://www.mori.art.museum/

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