世紀末にハルマゲドンはなかった。しかし、2001年9月11日、歴史を変える映像がとびこんできた。世界貿易センタービルの110階建てのツインタワーに旅客機が激突し、いともあっさりと全体が崩れおちたのだ。多くの建築の専門家ですら驚いたのだから、テロリストもこれほど見事な倒壊は予想しなかっただろう。完全に意表を突いたテロである。90年代は、爆弾をつめた車がビルに接近できないようにセキュリティの対策を錬っていた。1993年の世界貿易センターのテロも、地下駐車場で自動車が爆発している。だが、燃料を満載したジェット機が空から突っ込むことは簡単に防ぎようがない。かつてエンパイア・ステート・ビルの79階に爆撃機がぶつかる事故はあったが、16人の死者がでて、炎上したものの壊れはしなかった。しかし、通常、ビルはジェット機に対する安全性まで想定することはない。
もっとも、われわれが奇妙な既視感にとらわれたのも事実だ。人々が逃げまどうビルの倒壊シーンはSFXを駆使したハリウッド映画のスペクタクルを連想させたに違いない。映画のなかでは何度もアメリカの都市は崩壊している。とりわけ『マーシャル・ロー』(1998)では、ニューヨークの各地が自爆テロの標的になり、『エグゼクティブ・コマンド』(1997)では、科学兵器を持ち込んだテロリストのハイジャックした飛行機が凶器になりかねない状況を描いたことが特筆される。トム・クランシーの小説『合衆国崩壊』(新潮文庫、1997)でも、日本の旅客機がワシントンの国会議事堂に激突し、大統領や議員が死亡した。こちらはアメリカを恨む日本人パイロットの仕業である。ともあれ、ハリウッド的な想像力が現実のアメリカに刃を向けた。実行犯はアメリカに移住し、トラブルもなく暮らし、お金を積んで飛行機の操縦を学んでいる。皮肉なことに、多民族を受け入れるアメリカの自由さが未曾有のテロを可能にした。実は世界貿易センターの設計者ミノル・ヤマサキも日系移民の息子である。つまり、建設時、世界一高いビルの設計が日本人の名をもつ男に任せられたのだ。
ミノル・ヤマサキは1912年にシアトルで生まれたが、貧しい家だったので、サケの缶詰工場で働きながら、学費を稼ぎ、建築を学ぶ。卒業後は大手の建築事務所で働き、頭角をあらわす。そして1950年代に大胆なシェル構造のセントルイス空港を手がけ、注目を浴び、他のアメリカ人建築家をしりぞけて、62年頃に世界貿易センターの設計者に任命された。アメリカン・ドリームである。彼は、150階建てのビル一本、あるいは多塔状の案など、100以上もの計画を検討した結果、印象的なスカイラインをつくる双子塔の形式を選ぶ。ビルを見上げるための広場も設置された。構造はダブルチューブになっており、鉄の格子による外壁が風圧を受け、中央のコアが自重を支える。かくしてフロアから柱をなくし、また急行と各階止まりを効率的に組み合わせ、エレベータを減らし、最大限の事務空間を確保する。非常に効率的だ。
世界貿易センターは、近代的な箱型の高層ビルのお約束の集大成である。ただし、ミースのような純度の高いモダニズムのビルとは違い、ビルの下部にはヤマサキ好みの尖頭アーチのモチーフが認められる。ヤマサキは厳格なモダニズムにやわらかさを持ち込もうとした。ビルが都市的な規模をもつことも特筆される。5万人が働き、1日8万人が訪れるという。だが、高密度化するマンハッタニズムは、ただビルの破壊で阪神大震災に匹敵する犠牲者をもたらした。国籍も約80カ国に及び、多国籍化する資本主義の拠点だったことを裏付けている。
ヤマサキは成功したが、同時に不幸な建築家である。他の作品も悪い結末を迎えたからだ。プルーイット・アイゴー団地は住民に愛されず、犯罪の温床地となり、1972年にダイナマイトで解体されている。これはモダニズム建築の限界を示すエピソードとして、チャールズ・ジェンクスによって紹介された。世界貿易センターも、当初はスケールの大きさなどで評判が悪かったらしい。クライスラービルのような個性もシンボル性もない。107階の展望室からマンハッタンを眺める場所としては優れていたが。
ボードリヤールは、ツインタワーが互いのコピーになっており、シミュレーションの幕開けになると指摘した。アンチ・モニュメントとしてのビル。もしまったく同じビルが再建されれば、この論が補強されるだろう。だが、世界が悲劇的な最期を目撃したために、このビルは決定的な失われたモニュメントと化す。実際、テロはメディアを意識していた。衝突に時間差を与えることで、2機目は確実に撮影される。その効果は大きい。ビル崩壊の映像が全世界に衝撃を与え、経済活動を停滞させている。見えない戦争が進行する一方、映画のようなテロの瞬間があまりにも見え過ぎているからだ。
事件の黒幕はビン・ラディンとされている。だとすれば、今年の春に彼と関係の深いタリバンが、保護するという以前の約束をひるがえし、バーミヤンの巨大石仏を含む、国内すべての仏像を破壊したことは記憶に新しい。偶像崇拝を禁止するイスラムにとって好ましくないというのが表向きの理由だ。世界の反対の声に対し、オマル師は「ただの石」を壊しているに過ぎないと述べている。カブールの国立博物館もロケット弾で壊された。こうした行為は宗教的な理由だけではなく、国際社会との駆引きであり、自国の経済問題を注目させたかったともいわれている。筆者がよく寄稿しているトルコの建築雑誌『XXI』の最新号でも、カラチのバシール・アフマドがこの事件を論じながら、タリバンは国際的な制裁に対する怒りを表現しようとしたのではないかと指摘していた。実際人々が餓える悲惨な状況を、どこの国も気をとめない。
しかし、世界は仏像だけに過剰反応した。アフガニスタンに存在していても、世界的に貴重な遺産だからである。ニューヨークのMoMAは、文化財の保護のために、その購入すら申しでていた。保存運動の署名も、メールでまわっていた。イランの映画監督モフセン・マフマルバフは「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(『現代思想』2001年10月臨時増刊)という文章において、世界の無関心に殺される人々の日常を説明している。そして「パンを必要としている国家を前に、必要もなくそこにあった仏は恥を感じて倒れたのだ」という。大量死を伝えるために崩れた仏像を前に、世界は文化財の喪失だけを嘆く。ゆえに、マフマルバフは「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」という中国の諺を引用する。この事件は、ときとして遺跡から「文化」だけを切り離して考えることが通用しないことを改めて教えてくれる。
建物の破壊は今に始まったことではない。過去に政治と宗教の紛争から多くの建築が破壊された。しかし、敵対するイデオロギーの破壊というよりも、自国の文化財を傷つけることで、世界の関心を集めることが目的だとすれば、新しい状況といえる。彼らのヴァンダリズムを肯定するつもりはないが、観光商業主義と連携する世界遺産も決してクリーンなものではない。やぶれかぶれの一撃は、そもそも「世界」の遺産という概念は何なのかを改めて考えさせる。タリバンは、ねじれたかたちでグローバリズムの問題を突きつけた。地域の飢餓よりも世界の仏像の方が重要なのか、と。これは自国の遺跡に対する文化的テロである。
90年代のサラエボの紛争でも、ビルは破壊されたが、図書館の炎上を除けば、建物はそれほど話題になっていない。だが、2001年に起きた2つのヴァンダリズムは、単体の建築が世界的な話題になるおぞましい方法をわれわれに提示した。これに対抗すべき方法は、野蛮を野蛮で報復することではない。むしろ、その連鎖を断ち切ることではないか。

なお、『批評空間』のウェブ・サイトにも「ユダヤ博物館と世界貿易センター」という一文を書いたので、あわせて参照されたい。

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海からみた世界貿易センタービル
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世界貿易センターの広場
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世界貿易センターの見上げ
いずれも筆者撮影

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バーミヤン 破壊された遺跡
出典=『XXI』