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  . 若林幹夫


ジェレミー・ブラック 著
関口篤 訳
定価:本体2600円+税
2001年11月発行
青土社

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地図とは、単に地球表面上の地理的現象を「写し取ったもの」ではない。
地図は、地球表面上の特定の事物を「地理的な情報」として選択し、図像化して示すメディアである。地図に表記されるべき「地理的情報」として何を選び、その情報をどのように図像化するのかは文化的・社会的な営為であり、そこにはつねに世界観や価値観、政治的な意図等が随伴している。この意味で地図は地理的情報を表示しているだけでなく、特定の地理的情報を特定の仕方で選択し、表象する文化的・社会的な認識の枠組みを示している。また、地図が単に地理的現象や世界観を表象するだけでなく、軍事行動や政治的な統治、都市計画や地域調査、企業の営業戦略や個人の住居選択等の様々な営みの中で利用されるものである以上、そこに描かれた地理的世界の表象は、そうした社会的な営為と結びついてある社会的な実践の地平を開いていると同時に、そうした営みを通じて人間にとっての空間を社会的に「生産」している。国境線に囲まれた近代主権国家の「国土」という空間は、近代的な地図と、そこに表象された国土像に基づく統治行為を通じて社会的に生産されている。このように地図は、社会的な世界の外側からそれを忠実に写し取り、表現するものではなく、社会の内側にあって社会的な諸行為と連関しつつ地理的世界の像を表象し、その表象を通じて地理的世界を社会的に生産するメディアである。本書『地図の政治学』も、基本的にはそうした視点から、主として近代以降の地図と社会的諸関心の結びつきを概観したものだ。
著者のジェレミー・ブラック(1955―、エクセター大学歴史学教授)は、子供の頃から地図や地理に惹かれていたが、現代地理学のあまりの数式化に辟易して「地図に深入りすることは避けた」後、1992年以降再び、それまで「地理学者の領域」と思い込んでいた歴史地図学の領域に向かい、1997年に『地図と歴史』と本書『地図の政治学』の2冊の地図に関する著書を著している。著者自身の言葉によれば、『地図と歴史』が「歴史を加味した地図製作」を萌芽期まで逆上った長大な研究であるのに対して、『地図の政治学』の方は近代以降の地図と社会的関心の関係にテーマをしぼった比較的ハンディな著作であるという。実際、1 権力としての地図、2 世界と人間を地図で表わす、3 社会経済問題と地図、4 政治を地図で示す諸問題、5 境界、6 政治的地図の一側面としての戦争、7 むすび、という構成をもつこの書物は網羅的でも時系列的でもなく、これらのテーマにまつわる地図とその政治的、経済的、社会的な背景をアトランダムに選んで論じるスタイルをとっており、個々の章も相対的に独立した論文として読むことができる。
著者も第1章で述べているように、地図が地理的世界を表象する透明な媒体ではなく、社会的な諸関係、とりわけ権力的な諸関係と相関した表象であるとする視点は、80年代以降の人文・社会地理学において、記号論、テクスト論、権力分析、脱構築、図像学、カルチュラル・スタディーズ等とも連携して注目すべき研究を生み出している。けれどもここで興味深いのは、ブラックがそうした動向に強い関心を示しつつ、そこから一定の距離を取ろうとしていることだろう。上記の動向の代表的な論者に、地図を「本質的に権力に奉仕する文書」と捉えたブライアン・ハーレー(1932―91)や、地図は権力を反映すると同時に権力を養うと論じた『地図の力』(1992)のデニス・ウッズ等がいるが、本書はそうした視点が「地図製作のプロセスと問題に対しては、ごく限定された指標を提供するに過ぎ」ず、地図製作の具体的な過程を「権力」や「支配」という視点から単純化して捉えていると批判する。それに対して本書
でブラック自身の取っているのは、地図学と権力の共謀関係を探るのではなく、地図を政治・経済的な立場や価値観、社会的関心と連関する特定空間理解を反映したものとして捉え、そのような政治・経済的な背景に留意しながら地図とその製作のプロセスを読み解く必要を示すという、比較的穏当なスタンスである。
『地図の政治学』というタイトルからラディカルな社会地理学や人文地理学の成果や「文化の政治学」を期待して本書を手に取った読者は、したがって少々肩透かしを喰うことになるだろう。この書物がもっぱら示しているのは、地図という表現に内在する表象の政治学が、その製作・流通・使用を通じていかなる権力関係を社会体の内部に生み出していったのかということではなく、一定の政治的立場や価値観が、地理的世界の何をどのように表現するかを決定する地図製作の具体的な過程にどんな影響を与え、その結果、製作された地図がどんなメッセージを使用者に伝えるのかということであるからだ。前者の問題に関心のある読者は上記のハーレーやウッズの仕事や堀淳一の一連の著作、拙著『地図の想像力』等を読んだほうがいいだろう。朝日新聞読書面の評者のように、地図を「客観性」の表現と思っていた人には「いい薬」かもしれないけれど……。
訳の文章は、残念ながらあまり読みやすくない。「甚だ」や「かかる」といった定型化された言葉の頻発が気になるし(原書もそうなのかもしれないが)、文章全体の意味がとれなかったり、補注で補ったほうがよい部分等が散見されるのが残念。