住宅をめぐるさまざまな試み

今村創平
Images of a Grand Tour

Ed. Peter Allison,
David Adjaye: Houses; Recycling, Reconfiguring, Rebuilding, Thames & Hudson, 2005.

Architects's Drawings,

Cianchetta, Alessandra, Enrico Molteni,
Private Houses 1954-2004, Skira, 2005.

Theoretical Anxiety and Design Strategies

Ed. Nina Rappaport,
The Millennium House: Peggy Deamer Studio 2000-2001; Yale School of Architecture
, Monacelli Press, 2004.

イギリスのニュー・ジェネレーションの建築家のうちでも、デイヴィッド・アジャイは頭ひとつリードし始めたようだ★1。数年前から、独特の感性を持つ、いくぶんアーティスティックな彼の住宅が時々世界の建築雑誌で散見されるようになったが、このところ世界の重要なコンペでいくつも勝利をおさめ(オスロの「ノーベル平和センタ」や「デンバー現代美術館」など)、その活動の領域を広げている。
80年代までは、イギリスというとAAスクールに代表されるアヴァンギャルドの温床であり、またハイ・テック建築の中心という役割が一般的な認識であった。90年代から、ジョン・ポーソンやトニー・フレットンといった端正でミニマルな作風を持つ建築家たちが現われ、デイヴィッド・アジャイの作品もそうしたミニマルで審美的なものの系譜と考えてもおかしくなかった。ところが、アートを学んだという出自のためか、彼は決して精神の安寧を保証する静謐な空間を作るのではなく、時としてかなり挑発的な表現を行なう建築家だということがわかってきた。ともに、真っ黒で不思議な素材感を持つファサードの住宅、《エレクトラ・ハウス》(2000)や《ダーティー・ハウス》(2002)がそのいい例だろう。
DAVID ADJAYE HOUSES』は、そうした彼の住宅ばかりを集めた作品集であり、ほとんど黒の紫の表紙とダークブランの小口を持つこの本は、《エレクトラ・ハウス》をすぐさま連想させるであろう。本のページをめくりながら、彼の美しい住宅を楽しむというのも、もちろん正しいこの本の扱い方ではある。一方、本人も述べているように★2、アジャイの建築の重要性はその佇まいと同時に周辺のコンテクストへの応答の手法である。先述の真っ黒なファサードは、恣意的なインスタレーションでは決してなく、周到な地域へのレスポンスなのである。
そしてここに集められた10いくつの彼の住宅は、そのほとんどが既存の建物のリノベーションであることも、また興味深いことだろう。これまで、外国の住宅を雑誌等で見ても、それらの多くは郊外の金持ちのためのヴィラであることが多く、都市でちまちまと小住宅を作っている私たちとは、どこか土俵が違うとの感をぬぐえなかったのだが、彼の住宅は今の日本の私たちと同じ条件を持っている。これまで、都市住宅というのは日本独特のテーマだという論は繰り返し述べられてきたのだが、ようやくヨーロッパでも都市に戸建てを作るということが魅力的なテーマとなって来たのであれば、それは面白いことである。

Alvalo Siza, Private Houses 1954-2004』は、ちょうど50年にわたる、アルヴァロ・シザの住宅作品ばかり34件を集めた本。この本の特徴としては、通常の作品集のようにきれいな写真を集めようという編集ではなく、2人の著者により、シザの住宅を分析して分類しようという試みがなされている。そして各住宅に付けられた多くの小さめの写真は、実際に訪れた著者達によって撮られたもので、また訪ねた際の訪問記がつけられている。シザ本人の解説も採録されているのだが、著者達がその住宅に実際にたたずんでの描写と感想が綴られていることは、シザのような建築家の住宅を理解するのにとても大きな手助けとなるだろう★3

The Millennium House』は、2000-2001年、イエール大学で行なわれた、同名のセミナーとスタジオの記録である。ゲスト・レクチャーと学生の作品の記録から成る。世紀の変わり目に、このような大きなテーマを掲げるのも大胆であるが、最後に収録されている講評会の参加者も、ロバート・A・M・スターン(イエール大学建築学科のディーン)、レオン・クリエ、グレッグ・リン、マイケル・ベルと豪華だ。何よりも目を見張るのは、セミナーのために毎週訪れた建築家たちのリストだ。第一週のベルナール・カッシュから始まり、スティーブン・ホール、コランタン・マクドナルド、エリザベス・ディラー、ビアトリス・コロミーナ、ジャック・ヘルツォーク、ニール・デイナーリ、ヴィニー・マースなどなど、まさに世界の一線の建築家や評論家が授業に来ていて、もちろんこのようなことは日本の大学では望むべくもない。以前から、イエール大学では著名な建築家を短期間招いてスタジオを行なっており(篠原一男や安藤忠雄も招かれている)、それは時としてはミーハーではないかとの批評も呼んでいたが、それでも世界的な建築家と身近に接するという昂揚感が、生徒達にポジティブなエネルギーを与えることは事実だろう★4

[いまむら そうへい・建築家]


200602

連載 海外出版書評|今村創平

今となっては、建築写真が存在しないということはちょっと想像しにくい西洋建築史における後衛としてのイギリス建築の困難とユニークさ独特の相貌(プロファイル)をもつ建築リーダーとアンソロジー──集められたテキストを通読する楽しみ建築家の人生と心理学膨張する都市、機能的な都市、デザインされた都市技術的側面から建築の発展を検証する試み移動手段と建築空間の融合について空に浮かんだ都市──ヨナ・フリードマンラーニング・フロム・ドバイ硬い地形の上に建物を据えるということ/アダプタブルな建築瑞々しい建築思考モダニズムとブルジョワの夢セオリーがとても魅力的であった季節があって、それらを再読するということレムにとって本とはなにかエピソード──オランダより意欲的な出版社がまたひとつ建築(家)を探して/ルイス・カーン光によって形を与えられた静寂西洋建築史になぜ惹かれるのか世代を超えた共感、読解により可能なゆるやかな継承祝祭の場における、都市というシリアスな対象日本に対する外部からの視線深遠なる構造素材と装飾があらたに切り開く地平アンチ・ステートメントの時代なのだろうか?このところの建築と言葉の関係はどうなっているのだろうかドイツの感受性、自然から建築へのメタモルフォーシスリテラル、まさにそのままということを巡る問いかけもっと、ずっと、極端にも遠い地平へ強大な建造物や有名な建築家とは、どのように機能するものなのか素顔のアドルフ・ロースを探して住宅をめぐるさまざまな試み手で描くということ──建築家とドローインググローバル・ネットワーク時代の建築教育グローバル・アイデア・プラットフォームとしてのヴォリューム等身大のリベスキンド建築メディアの再構成曲げられた空間における精神分析変化し続ける浮遊都市の構築のためにカーンの静かなしかし強い言葉世界一の建築イヴェントは新しい潮流を認知したのか建築の枠組みそのものを更新する試みコンピュータは、ついに、文化的段階に到達した住居という悦びアーキラボという実験建築を知的に考えることハード・コアな探求者によるパブリックな場の生成コーリン・ロウはいつも遅れて読まれる繊細さと雄大さの生み出す崇高なるランドスケープ中国の活況を伝える建築雑誌パリで建築図書を買う楽しみじょうずなレムのつかまえ方美術と建築、美術と戦争奔放な形態言語の開発に見る戸惑いと希望建築と幾何学/書物横断シー・ジェイ・リム/批評家再読ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[2]ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[1]追悼セドリック・プライス──聖なる酔っ払いの伝説ハンス・イベリングによるオランダ案内建築理論はすなわち建築文化なのか、などと難しいことに思いをめぐらせながら「何よりも書き続けること。考え続けること。」建築を教えながら考えるレムの原点・チュミの原点新しい形を「支える」ための理論シンプル・イングランドヘイダックの思想は深く、静かに、永遠にH&deMを読む住宅の平面は自由か?ディテールについてうまく考えるオランダ人はいつもやりたい放題というわけではないラディカル・カップルズ秋の夜長とモダニズム家具デザインのお薦め本──ジャン・プルーヴェ、アルネ・ヤコブセン、ハンス・ウェグナー、ポールケアホルム知られざるしかし重要な建築家
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る