シュマルゾーと立原道造──現象学的空間論の系譜に

八束はじめ
アウグスト・シュマルゾー『芸術学の基礎概念』
アウグスト・シュマルゾー『芸術学の基礎概念』
2003年5月発行
中央公論美術出版
定価:本体28,000円+税
ISBN:4805504404
416頁

今回は日本では最近出たものだがきわめて古典的な著作を取り上げる。ある意味で待望されていたテクストだからだ。シュマルゾーのテクストが日本語に訳されたのはおそらくはじめてだろう。出版社のキャッチ・コピーだと「19世紀末からドイツで始まった「芸術学」は、芸術を観念論的にではなく、実証主義的に取り扱う新しい芸術理論もしくは芸術哲学の基礎を作った。本書は来るべき「身体の現象学」を予告し、現在においてもアクチュアルな意義を失っていないシュマルゾーの主著である。ヴェルフリン『美術史の基礎概念』あるいはリーグルの『様式問題』に並ぶ様式論的考察の根本文献、待望の邦訳」というわけだが、あながち誇大広告ではない、とりわけ建築関係者にとっては。それと私は日本における「空間」概念(後述のようにシュマルゾーのキー概念)の移入のされ方に興味を抱いて若干調べていたので、それも絡めてとくに夭折した詩人/建築家立原道造に言及しながら拡張された意味での書評としたい。

本書には表題作のほかに「建築的創造の本質」と題された講演記録が収録されている。前者は1922年、つまりシュマルゾーが69歳の年に刊行されたものだが、後者はそのほぼ30年前の1893年にライプチッヒ大学の教授に就任した際の記念講演である(出版は翌年)。これは有名な講演であり、ポール・ゲッティ・センターから出た『感情移入、形態と空間:ドイツ美学における諸問題 1873-1893』にも収録されている★1。ほかに収録されているのはフィードラーの「建築の本質と歴史への省察」だったり、ヴェルフリンの「建築心理学序説」だったり、ヒルデブラントの「造形芸術における形の問題」だったりする。いずれも19世紀末の美学/美術史の分野における重要著作であり、ヴェルフリンやヒルデブラントの著作はいずれも同じ中央公論美術出版からすでに翻訳が出ている(フィードラーは昭和三年に「芸術論」が出ている。今容易に入手可能なのは中央公論社の『世界の名著続 15 <近代の芸術論>』に収録されている「芸術活動の根源」だけ)。「待望の邦訳」であることに誇張はない。

とはいえ、遥かに以前にこのシュマルゾーの講演に注目していた日本人建築家がいた。立原道造である。立原は「方法論」と題した卒業論文(昭和11年)に「建築は抽象的空間の形成の造形芸術であることを失はない」と書きながら、三次元の空間について「『虚空間の構成』(Architecktur ist Raumgestaltung/Schumarsow)にありとするか、『立体的量の実現』(Architektur ist kunst krperlicherMassen/Wlfflin)にありとするかは人によって違ひ......」と述べている★2。この前者に出ている「空間形成者」としての建築の位置づけが述べられているのが「建築的創造の本質」なのだ。そこでシュマルゾーは建築を皮膜技術として定義するゼンパー派の位置づけや、建築を構築術(テクストニクス)であるとするニコライ・ハルトマン(森鴎外が依拠した彼の『美学』も比較的最近邦訳された★3)の解釈を斥けて「空間形成」に建築の本源的なあり方を求めている。この出発点は、「芸術学」と名付けられながらも基本的には建築を中心とした本書の「芸術学の基礎概念」でも引き取られている(空間的要素の比重の大小およびそれが人間ともつ関わりの深さによって分類された「住居──宗教建築──記念碑」の章)。

序でながら、住宅と記念碑とを峻別するテクストをものした建築家がいる。アドルフ・ロースである。「芸術作品は革新的であり、住宅は保守的である」という有名な一節を含む「建築について」は1910年に発表された★4。今回のシュマルゾーの二つのテクストに挟まれた時期であり、リーグルの諸研究とも時期を同じくする(主著『末期ローマの芸術工芸』は1902年。ただし、1910年にはリーグルはすでに没していた。この著書は未邦訳で中央公論美術出版さんには早く出してほしい)。RAUMPLANといわれる立体的な設計手法をとったロースが「空間」の建築家であることはいうまでもなく、またロースとリーグルには活躍の場が同じウィーンであり、装飾やモニュメントについての論考がありと共通点はいろいろあるが、残念ながら直接の影響関係は不明である。

というところで、立原に戻って、彼とシュマルゾーの遭遇は──上記の引用は参考文献に挙げられていないことからすると、直接のものというより孫引きである公算が大きいとしても──内容的に興味深いので少し立ち入ることにしておく。興味深いというのは、日本ではその頃まで「空間」で建築を語るということ──あくまで哲学的認識論の範疇ではなく建築論の範疇でということだ──がほとんど行なわれていなかったからだし、西欧でもシュマルゾーの言説はその嚆矢に近いからなのだが。今日では「建築」と「空間」はほとんど不可分なものと考えられているから、シュマルゾーの定義は単なる学問的な定義に過ぎないと見えるだろうが、藤岡洋保氏によれば、日本で「空間」ということばが広く流布していくのはじつに戦後の丹下研究室の一連の作業以降である★5。戦前にこの概念を使った例は後藤慶二や堀口捨巳にごくわずかあるが、例外中の例外に属する(堀口が盛んに使うのは戦後である)。それが本格的に導入されたのは、おそらく東大の美学、板垣鷹穂を経由して、板垣と交友関係にあった岸田日出刀の研究室においてである(やはり板垣経由ではもう一人井上充夫がいて、彼は有名な『日本建築の空間』──確か英訳もされている──をそれを使って書いた。そこで扱われたのは伝統的な寺社建築だが、「建築」も「空間」も近代以前にはなかった概念である)。そこにいたのは立原、1級下の丹下健三および浜口隆一である。これについてはほかにテクストを書いた(未発表)のでここで敷衍するわけにもいかないが、浜口が丹下(と前川國男)の在盤谷日本文化会館コンペ案を擁護して書いた「日本国民建築様式の問題──建築学の立場から」と題するテクストで、構築的・物体的な西欧の建築と比べて日本的な建築の特質と考えたのは行為的、空間的特質だった★6。この「空間」なる概念が著しく日本的でなかったことを百も承知で使ったのである(これは当時浜口らとは接触がなかったという井上も同じ)。浜口の理論のガイドラインを提供したのはハインリッヒ・ヴェルフリンやとりわけアロイス・リーグルで、後者の「芸術意欲」を浜口は「建築意欲」と読み替えた。

これに対して立原は上記のようにヴェルフリンの見解にシュマルゾーのそれを対比させている。とくに後者の肩をもつという風ではないが、浜口にはシュマルゾーへの言及はない(ただし、「行為的、空間的」というところは、後述のようにシュマルゾー的ではある)。じつのところ、本書のメインテクスト「芸術学の基礎概念」は、5歳年少のリーグルの『末期ローマの芸術工芸』を意識しながら書かれたもので、ある種リーグルへの批判的注釈の作業ともいえる。バーゼル派のヴェルフリンとウィーン派のリーグルを一緒にすることはできないとしても、彼らでは、「空間」(古代ギリシャ──アリストテレスなど──以来論じられてきた概念ではあっても、建築を中心とする芸術の概念として論じられる至ったのはヤーコブ・ブルクハルトの「チチェローネ」など以来のドイツ語圏の美学/美術史においてである)は芸術の構成要素して、平面と対比される奥行きの次元をもった(レリーフのようなものも含めて)ものという実体としての、もしくは視線を受け止める対象としての把握が主になっている。ともに視線が優越しているのだ。しかし、シュマルゾーでは、それがその内に入るべき人間の身体の概念あるいはそれに属する感覚器官の問題を中心として把握されている。例えば、それが人間の身体と同じようだから快く感じるのだというシンメトリーについてのヴェルフリンの説明に対して、シュマルゾーはこの人間中心主義(的な形而上学)を批判し、それを空間や物体の把握をする「外的器官(触れるための手足や見るための目=引用者注)がシンメトリカルな基盤の上で整えられているから」だと説明している。だから「人間的主体から出発して空間を展開することが、建築のもっとも自然な課題をかたちづくり、終始一貫して境界を先に押しやることが、主体自身を包み込む活動空間を獲得するための主要件となる」(これが前記浜口の「行為的、空間的」の定義に対応する)。あるいは、また空間を(とりわけヴォールト屋根によって)囲われたものとして把握するリーグルが初期キリスト教バシリカに列柱(つまり実体)を見出し、「帝政時代のローマ人は、バシリカの身廊部に遮蔽する壁面を見ただけであって、壁面に取り囲まれた空間は見なかった」とする説を否定し、それはむしろ記念碑的な神殿様式に引きづられた解釈であり、「初期キリスト教バシリカはむしろそのような形式言語をもたない住宅建築に由来しているのだ」とするところなどもこれに該当する。

きわめて明晰な訳文をものしてくれた訳者井面氏の懇切で有益なあとがきでは、シュマルゾーのこうした身体論的なアプローチを、「二十世紀の思想的動向の中で、M.メルロー=ポンティ、O.F.ボルノー、あるいはH.シュミッツ等の現象学と結びつく可能性」に言及している★7。しかし、このような戦後の業績に言及するまでもなく、戦中に書かれた卒論での立原は、「私に課題とされた〈方法論〉は、現象学の建築芸術の領域への応用であると呼ばれやう」としつつ、フッサール、ライナハ、オーデブレヒト、務台理作などの名前に言及している。シュマルゾーへの言及はこのような建築の「作用的な側面」の議論のなかに嵌め込まれているのだ。上にヴェルフリンの客体主義へのシュマルゾーの批判について言及したが、「方法論」の書き出しは、そのヴェルフリンが「基礎概念」でルードヴィッヒ・リヒテルのテクストに言及しながら書いた「この筆者は、一體客観的視覺的なるものはなく、形といひ色といひ、いつも気禀に應じてまちまちに把握されるものである、と結論をくだしたのである」という一節から書きはじめられる。最初から現象学的な書き出しなのだ(立原は「私はそれを客観的に正確に編むべきであらうか。私はそれを疑ふ」と応じている)。現象学美学はまた近年注目を浴びつつあるが★8、当時の帝大美学の教授であった大西克禮(よしのり)が当時のドイツの動向を紹介した『現象学派の美学』を昭和12年に出版しているし、この本や大西も関与していた同大の美学談話会が発行していた『美学研究』には、オーデブレヒト(もともとはドイツの銅版画家)の紹介などが行なわれている。立原や浜口(卒業後美学科の聴講生をしていたらしい)などは前記のように師の岸田や板垣などを通じてこの情報圏にあったらしく、立原はそこで現象学(と空間の関係)に注目したと考えられ、「方法論」の参考文献には大西やその前任者大塚保治の文献が挙げられている(ただし大西の著作で挙げられているのは『美學概論』と『判断力批判の研究』の2著で翌年出版の『現象学派の美学』は当然挙げられていない)ばかりか、注には「大西克禮教授の講義に由る所多い」ともあるから浜口隆一のように文学部の講義に列席していたように思われる。また京都学派の務台理作も昭和の初期からとりわけフッサール関係で現象学に関する論考を発表していた★9

シュマルゾー自身が同時期に立ち上がりつつあった現象学をどう考えていたかは浅学にして知らないが、「芸術学の基礎概念についての以下の論究は、今日の美学ともっと密接に結び付けば、より良いものになったであろう。......差し当たり、ゴットフリート・ゼンパーの熱心な研究から出発したテオドル・リップスと協調していれば、私がいまようやく読み始めることのできる『美学原論』が教えるように、それは好ましいことであったであろう」と本書の序文で書かれているように、やはり同時期に「空間」の概念を展開したリップスの感情移入Einfhlung説(他我の理解のための媒介に感情──類推のケースのように知性ではなく──が働くとするもの。共感とも訳す。上記のゲッティ・センターの本のタイトルにある〈Empathy〉は〈Einfhlung〉の訳語としてつくられた語らしい)がフッサールに与えた影響はよく知られている。しかし、リップスでは、視線を追うことで生じる感情移入のようにその運動が語られるものの、全身体的なものまでには発展されていない。シュマルゾーは1903年に出ているリップスの『美学原論 Grundlegung derAesthetik』(『美学 Aesthetik. Psychologie des Schnen und der Kunst』の第一巻/第二巻は『造形芸術の美学的考察 Die aesthetische Betrachtung und die bildende Kunst』[1906])を「今ようやく読み始めることのできる」と述べているから、美術史学であるシュマルゾーともともと哲学畑(美学)のリップスではいささか領分違いで、すぐに著書を読むという関係ではなかったのかもしれない(1893年の講演ではリップスの「空間直感における美的諸要素」[1891]への言及があるが)。つまり逆にいえば、フッサールがリップスの著書をノートをとりながら読んでいたとしても、シュマルゾーまでは手が回っていなかったという推測も立てられる。

ともあれ、日本では、シュマルゾーのほうはかくも邦訳が遅れたのに比べて、リップスの『美学』の日本語訳は大正期に出ているし★10、それに先立って阿部次郎の『美学』(1917)にすでに感情移入説についての紹介は行なわれている(これまた立原の参考文献に挙げられている)★11。ただし、ここでは「空間」の問題には触れられていない。とはいえ、東大で美学を講じていた阿部の師大塚保治の講義では明治の末年にすでに「空間」に関する議論が行なわれていたらしい★12。活字で見ることのできる大塚の講義録は大分あとの晩年の講義で、「造形美術論」中の「建築論」は大正12年だが、そこでは空間を「視空間(Sehraum)、触空間( Tastraum )および行空間(Gehraum)」に分け、さらに「行空間は運動空間(Bewegungsraum)あるいは方向空間(Richtungsraum)とも呼ばれる」としている★13。私は、そのすぐあとに「空間」概念の萌芽のようなことを書いていることから、明治末年に学生時代であった後藤慶二がこの大塚の講義を聴いていたのではないかと推測しているが、立原がこの大塚の本も参考文献としていることは前述した通りである。リップスから大塚、阿部そして後藤から浜口、立原という空間論の系譜にシュマルゾーは──必ずしも直接的にではなくとも──接点をもっているわけだ。

とはいえ、シュマルゾーは美学者ではなくあくまで美術史畑の学者である所以は、身体を介した議論が認識論や経験論にだけ赴くのではなく、建築形式に対しても議論の種を提供しているところにも現われている。例えば、シュマルゾーによれば、古典建築の基本形式である長堂式と集中式は「動と静として互いに対立的な関係にある」とされる。「長堂式建築は居住者の場所移動と結びついており、場所移動とともに成長するように、みずからを拡大し、みずからの形態を多様化する」、「直立して歩く人間の空間形態」だからである。これに対して集中式では、「人間を固定した視点に縛り付ける」し、そうなると「人間は目標(マール)となる」。ここから記念碑を意味するドイツ語Denkmalが成立する。ここにも浜口が「構築的・物体的」対「行為的、空間的」とした文字通り我田引水的な概念の対比が見られるが、シュマルゾー自身は、「建築的創造の本質」のほうで空間は単独のインテリアのみならず、通りや広場など建築より「大きな空間包囲体」つまり「都市計画の芸術的構成」(丹下/浜口が目指したはずの)までの言及を行なっている。現象学的な身体がそれら諸種の空間を横断していくのだ。シュマルゾーは彫塑、絵画、建築のような諸規範の特質が固定的であるよりはむしろ相互に可変的であるとして、各々の時代の芸術意欲のパラダイムを求め、さまざまな力の経済のなかで変化がどのように起こるかを正確に観察することだけ」がそれを教えてくれるとしているが、そのテクストの結語は「差異とずれは、樹木の果実のように必然的である」と殆どデリダ風の箴言である。

★1──Introduction and Translation by Harry Francis Mallgrave and Eleftherios Ikonomou, Empathy, Form, and Space: Problems in German Aesthetics, 1873-1893』, Santa Monica, CA: Getty Center for the History of Art and the Humanities, 1994.
★2──『立原道造全集 第4巻 評論・ノート・翻訳』(角川書店、1972、所収)。
★3──ニコライ・ハルトマン『美学』(福田敬訳、作品社、2001)。
★4──アドルフ・ロース『装飾と罪悪──建築・文化論集』(伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、1987、所収)。
★5──藤岡洋保「日本近代における〈建築の基礎概念〉の変遷──建築の思考を規定する枠組みの相対化」(『日本建築学会大会資料 1999』、所収)。
★6──浜口隆一「日本国民建築様式の問題──建築学の立場から」(『新建築』1944年1、4、7・8、10月号/『市民社会のデザイン──浜口隆一評論集』、而立書房、1998、所収)。
★7──序でながら各々の関連著書を挙げておこう。
モーリス・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』(竹内芳郎ほか訳、みすず書房、1974)、オットー・フリードリッヒ・ボルノー『人間と空間』(大塚恵一ほか訳、せりか書房、1978)、ヘルマン・シュミッツ『身体の感情の現象学』(石田三千雄ほか訳、産業図書、1986)。
★8──高梨友宏『美的経験の現象学を超えて 現象学的美学の諸相と展開』(晃洋書房、2001)。
★9──務台理作『対象論と現象学』(「岩波講座・哲学4」、1933/弘文堂書房「現象学研究」、1940)。
★10──稲垣末松講述『美学汎論』(洛陽堂、1921)、同『美學各論』(洛陽堂、1922)。
まとまったものは『美学(上・下)』(佐恒久訳、春秋社「世界大思想全集」、1936)。
★11──阿部次郎『美学』(岩波書店、1917)。
★12──田中修二『彫刻家・新海竹太郎論』(東北出版企画、2002)。
★13──大塚保治「造形美術論」(『大塚博士講義集 美学及芸術論』、岩波書店、1933、所収)。

[やつか はじめ・建築家]


200311

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